チラシから店舗のブランディングへ
独立でデザイン業のレベルアップを図る。
# 34
橋爪暢宏
NOBUHIRO HASHZUME
デザイナー
Reone
Profile
1979年、京都府舞鶴市生まれ、七尾市育ち。金沢市のデザイン専門学校を卒業後、市内の企業に就職。その後、シルクスクリーン印刷の会社でのアルバイト、デザイン会社勤務を経て、市内印刷会社で新設のデザイン部門の立ち上げに携わる。2012年に独立し、「Reone(レオン)」を開業。’15年に幸町へ事務所を移転。主に、グラフィックデザイン、ブランディング・企画・デザイン、ロゴ制作、店舗サインのデザイン・施工などを手がける。
起業までのいきさつは?
学生時代はとにかく遊んでいて就職のことも考えていなかったですし、就職後は生活のためにやりたくもない仕事をしていました。22歳で結婚して23歳で子どもが生まれたことで、このままじゃいけない、自分がしっかりしないとと真剣に思うようになりました。デザインの専門学校を卒業していたので、もう一度デザインを一からやってみようと思ったんです。でもずっとデザインとは無関係の仕事をしていてブランクがあったため、デザイン会社に入るすべがなくて。そんな中、シルクスクリーン印刷の会社でアルバイトとして働き始めることに。小さいものから少しずつ、名刺みたいなものをつくれるようになりました。何かをやらなきゃという思いでやり始めた仕事ですが、働くうちにデザインが好きになっていきました。それなのに、その印刷会社は倒産となってしまった。困っていたところ、出入り業者だったデザイナー会社に来ないかと誘っていただき再就職しました。引き続き、デザインの経験を積んでいたものの、その会社も事業縮小にともない、また辞めざるを得ない状況となりました。その時にもまた、会社に出入りしていた印刷会社に声をかけていただき、新設のデザイン部門の立ち上げをやらせてもらうことに。自分が入るところ入るところ経営が厳しくなっていくので、次は大丈夫なのかなって、さすがに不安に思いましたね(笑)。
独立したきっかけは、仕事をする上でデザインの楽しさや奥深さを知っていくにつれ、お客様ともっといいものをつくりたいという思いが芽生えてきたことです。印刷会社ではチラシやパンフレットといった紙ベースの仕事が中心だったので、飲食店や商品のブランディングやウェブ制作など、新しいことをやってみたくなりました。ちょうどその頃、自分の周りの同年代の人たちが次々に独立していくことも重なり、自分もやってみようと30歳で起業することにしました。
住んでいたアパートの一室から半ば勢いでスタートしました。この業種は部屋とパソコンがあればできる仕事なので、開業に向けて設備などの資金はかかりません。とはいえ、生活費2ヶ月分ぐらいの手持ちしかない状態で、集客のあてもなかったので仕事などすぐに来るはずがないと思い、起業支援の相談をそのうちにと考えていました。しかし前職の仕入れ業者や関わりのあった方からの紹介をいただき、有り難いことに宣伝もすることなく独立した翌月からすぐに仕事に恵まれました。思いがけず忙しくなったため、結局、起業の助成金申請も行う暇もなく、失業保険の再就職手当も受けないまま、気づけば1年経っていました。
独立してすぐは、代理店や印刷会社からの下請けが中心で、チラシやパンフレットといった紙媒体の仕事が多かったですが、いずれは小さな飲食店などのブランディングができたらいいなという思いがあったので、打ち合わせの段階でも機会を見つけて要望以外のことも進んでプレゼンするように努めました。そのうちにお店のロゴや販売ツールなど、店舗オープンの時のブランディングの仕事を任せてもらえるようになっていきました。
起業で大変だったことは?
それまでの経験や人のつながりのお陰で、仕事はすぐに軌道に乗りました。もちろん起業する前はお客が付いてくれるか不安はありましたけど、でもうまくいかなかったら最悪コンビニなどでバイトすればなんとか食べていける、というノリでした。ただ、業務での苦労でいえば、これまでは1つのプロジェクトを何人かのスタッフで割り振って進めていたのに対し、独立すると打ち合わせも制作も自分一人でこなさなければならなくなり、そのスケジュール管理が大変です。さらに、動かす案件が多くなってくると、売り上げに対する外注費が思った以上にかさんできます。今までだったら下請け分のデザイン費だけがそのまま収入として入ってきましたが、ウェブなどのプロデュースもするようになると、関わる業者さんなどへのお金の流れも配慮してやっていかなければならなくなりました。
仕事の範囲が広がったことでお客様や業者さんとの打ち合わせが増えてきたため、生活の場と仕事場を分けたいと思い、2015年に今の場所に事務所を移転しました。友達から犀川沿いにいい物件があるよと教えてもらったのがここで、持ち主の方が古民家補助金を受けて修復して借家にしたそうです。元あった2間続きの和室は板張りの床へと改修工事を自己資金で行いました。移転後2、3年ほどして、2人のデザイナーを増員しました。仕事の依頼が増えてきたこともありますが、仕事の幅を広げるために雇用することにしたのです。特に募集もかけなかったんですが、スタッフの1人は以前から注目していたデザイナーで転職のタイミングで僕が声をかけて入ってもらいましたし、もう一人はそのスタッフの元同僚、アルバイトとして補助的な業務を担当してもらっています。
自分のスタイルでデザインをつくりたいと起業しましたが、自分のつくるものをあまり押し売りしたくないという思いもあります。自分のデザインが一番ではないと思うので、自分のつくるものとお客様の思いを合わせ、お互いが納得いくものを、さらにそれを見る消費者も含めて、いいものをつくれたらいいな、と。そう思いながらも、自分独自のスタイルをどう出すかは悩みます。「じゃあ自分が本当につくりたいものは何か」という部分もどうしても出てきますから。
金沢で起業する魅力は?
金沢は小さいまちゆえ、人とのつながりを大切にしていないといけませんね。県外に出たことがないので、他の地域との違いがまったくわかりませんが、この地に住む人たちや自分に関わってくれる方たちに囲まれていることは、自分にとってすごく居心地が良く、仕事が楽しくやれているんだと思っています。
仕事のための人脈づくりというのはこれまで一切してこなかったけど今から思えば学生の頃から飲みに歩いてばかり、ただただ遊び惚けていたことが、もしかしたら役に立っているのかも。もちろんそのために遊んでいたわけじゃないですが(笑)。
これから起業する人へのアドバイスを。
業種によって違うかもしれませんが、特にデザイナーにとっては、技術的にも会社的にもスタミナが必要になってきますし、メンタルが強くないとできない仕事だから、若いうちから苦労した方がよいと思います。というのも、自分がいいと思ってつくり上げたデザインが先方の意向によって何度もひっくり返されることも珍しくないからです。その分、そういう経験が増えるほどデザインの選択肢も増えてスキルもアップさせられるし、対処の仕方もだんだん上手くなってくる。だから独立するのならなるべく早めをおすすめします。
今後の展望は?
具体的な展望は特にないんですよね。ただ、お客様と消費者がスムーズにつながるデザインの提案をし続ける会社にしていきたい。もちろんデザインにもトレンドがありますし、スタッフによってテイストも違うので、「こういうスタイルもありだな」といった刺激を受けることは多々ありますが、クライアントに新しいものを提案したい場合には何かしらインプットは必要です。去年は全然できませんでしたが、今後はいろんな場所に行き、いろんな作品を観る機会を増やしたいですね。
といっても、自分が60歳になった時に仕事としてデザインをやっていくとなると、20代、30代に向けたデザインをつくるのはやはり難しくなると思うんです。そのためには、自分の感性が凝り固まった年代になる前に、若い世代の人材を育てることが必要。それは自分にとっても会社にとっても、いい刺激になるはずです。
実は、学生の頃から東京への憧れがすごくあって、ファッション系の学校に進学したいと考えていましたが残念ながら叶いませんでした。今でも一度行っておけばよかったなと思います。東京への事務所移転などはまだ考えていませんが、東京を行き来する仕事には挑戦してみたい。若い頃とは違ったかたちで デザイナーとしての“東京進出”がいつか実現できたらいいですね。
2021.11 編集:きどたまよ 撮影:黒川博司