はたらこう課

Interview

リレーインタビュー

最先端のデジタル技術と工芸のアナログ技術を
掛け合わせた「未来工芸」で新たな価値を創出。

# 7

secca inc.

プロダクトデザイナー

(株) 雪花

Profile

最先端のデジタル技術と工芸のアナログ技術を掛け合わせた、独自のものづくりを手がけるベンチャー企業として、2013年設立。共に金沢美術工芸大学製品デザイン専攻の卒業生である、代表を務める上町達也と柳井友一、そしてアドバイザーの宮田人司の3人が中心となり活動。’15年『蔦屋家電』にて展示販売を行ったほか、’16年4月より『BEAMS JAPAN』にて、「ASCEL」シリーズのカップが販売されるなど注目を浴びる。

『secca』のものづくりについて教えてください。

工業デザインで養ったデザインスキルをベースに、3DCADや3Dプリンターといった最先端のデジタル技術と、主に地場で培われた工芸のアナログ技術を掛け合わせ、新たなものづくりの価値が生み出せないかを日々検証しています。例えば、3DCADで設計し、3Dプリンターで出力した生地に、職人の手を介して、漆塗りや金箔、銀箔など金沢ゆかりの仕上げを施した器などを手がけています。「工芸」という枠の中で、未だどこにも当てはまらない表現ということもあり、「未来工芸」をテーマとしています。とはいえ、天然素材が前提の工芸の世界において、3Dプリンターで扱える素材は人工素材がほとんど。今後の素材開発の発展を見据え、現時点で最適な人工樹脂の生地を積極的に用い、先駆けて3D技術と工芸素材とのマッチングを検証しています。ただし、3Dプリンターの素材は現在非常に高価なもので、適正な価格で市場に投入するにはもう少し時間がかかりそうです。

そこで、お客様の手に届けられるかたちとして、陶芸の伝統的な技法のプロセスの一部に、3D技術を取り入れた陶磁器を商品化しています。こちらは、3Dプリンターなどで作製した原型の意匠を石膏型に写し取り、形状を粘土に転写した後、オリジナルの釉薬を施し、窯で焼成します。この器は、日本料理『銭屋』や料亭旅館『浅田屋』、和食料理店の『PLAT HOME』などでご使用いただき、最近では東京の『BEAMS JAPAN』での取り扱いが始まり、近いうちに『三越伊勢丹本店』での展示販売も予定しています。(上町)

工房では、釉薬も調合から行っています。膨大な種類の原料の中からいくつかを組み合わせるんですが、その比率がちょっとでも狂えば、色合いや風合いが異なります。施釉する粘土によっても変わるうえ、調合次第で、製品にダイレクトに表れるので、とても緻密な作業。そのパターンは数え切れないほどあり、テストしてどんどん蓄積させています。そのサンプルから、お客様の好みに応じた仕上がりを選んでもらうこともできます。(柳井)

起業のきっかけは?

僕は『ビクター』で製品デザインを手がけていました。そこは、たった半年で商品が淘汰されていく量産品の世界。例えば、製品の外観はいいのに、ハードディスクの容量が他社との比較で競争力がないという理由で、目新しさを出すために外観も変えていかなきゃならない。そんなものづくりを生涯やることに、大きな疑問を抱くようになって…。そんな時、陶芸の世界を覗く機会があって、道具としてシンプルでありながら、孫の世代まで愛され続けるプロダクトに、これぞ生涯かけてつくるものとしてふさわしい、と心惹かれました。僕は、すぐに会社の上司に相談し、3週間後には退職して『多治見市陶磁器意匠研究所』に入っていました。その後、『金沢卯辰山工芸工房』に入り、陶芸の技術習得に打ち込みました。

僕は工業デザインから工芸の道。ある意味逆行した流れの中で、ルーツやスキルが他の作家と異なる自分が特化してできることは何か。考え続けた末に辿りついたのが、3DCADと作家の手仕事を掛け合わせて生み出す、独自のものづくりです。(柳井)

僕は、『ニコン』でカメラや顕微鏡などのデザインを担当していました。柳井と同様、大量消費の中で、クリエイティブそのものも消費されていくことに戸惑いを感じていました。その悶々としている最中、3.11の東日本大震災を体験し、ものづくりが今後どのように社会と関わっていくべきなのか突き詰めて考えるようになり、起業を強く意識するようになりました。

その当時考えていたことは、震災の影響もあり、暮らしの土台でもある衣食住。特に食に対する意識の低迷や情報の不透明さに疑問を抱き、人間の形成に強く影響を与える食に、クリエイターとしてどうにか関われないものかと考えるように。食への興味が少しでも増えるような情報発信ができる飲食店を構え、生産者をはじめ、食器食具を製作する作家や職人とテーマを共有した一品をつくり、背景にある情報ごと伝わる、親子向けのサービスを構想していました。柳井とは、この時の器の相談がきっかけで再会しました。

そんな活動を後押ししてくれそうな土地が、学生時代に過ごした金沢だったので、考えるより先に、お金をある程度貯めて、先に移転しちゃいました。現地で考えるのが一番早いだろうと(笑)。移住後すぐに事業の構想をまとめ、以前から連絡を取り続けていた宮田さんに相談しに行きました。しかし、そこで資料を見た直後、「そんなつまんねぇ店、誰もいかねぇよ」と一喝されて…。1年近くも練りに練った構想が一瞬で崩れ落ちる、まさに衝撃的な出来事でしたね(笑)。

だからといって、その一喝を跳ね返すほどのクリアなビジョンがすぐには描くことはできなかった。手を動かしながら考え直そうと、面白い活動をされている農業法人『金沢大地』の門を叩き、農業を始めました。土に触れながら、生産者の想いや苦労を体感しながら考える日々はとても貴重な時間でしたね。

半年以上経った頃、場所や機会との出会いもあり、僕でも出来るカタチとして、ハヤシライス一品に絞った専門店『涎屋(よだれや)』を始めました。柳井に相談し、ハヤシライスのご飯やルゥの量を3DCAD上で細かくシミュレーションしながら試作を繰り返し、美しく機能的なハヤシライス専用皿を一緒に開発しました。肝心のハヤシライスも超一流の日本料理人に弟子入りし、半年かけて完成させました。

仕込みに5日かけて作るハヤシライスを提供し、器や食材のことなどをお伝えしながらお客様と接する日々すべてが、自分自身にとって勉強の毎日でした。一方で、その頃の生活は、仕込みが終わるのが夜中12時、その後に仕事としていただいたデザイン業務のために3DCADを立ち上げ、明るくなる頃帰宅するといった具合。寝不足が慢性化し、思考回路が徐々に鈍くなっていき、何もかもが初めてなのもあり、進みたいのになかなか進めない、とてももどかしい時期だったんです。他のスタッフに教えて任せればいいという自分の考えも甘かった。この中途半端なままでは、スタッフにもお客様にも迷惑をかけてしまうと、散々悩んだ末、思い切って閉店し、ものづくり一本でいこうと決めました。これまで築き上げてきた、ものづくりの立場で食に関わるのが最も素直な回答だと、ようやく気付いたんです。『secca』では、器づくりは基本的に柳井に任せ、僕は経営や委託デザイン業務に集中しています。柳井をはじめ、集まってくれた仲間と、ものづくりについて時を忘れて議論しているのがとても楽しい。(上町)

金沢で起業することの意味は?

金沢は、積み上げた文化を守るのではなく、育てながら常に進化を求める気質が広く浸透していて、魅力的な人とその結果生まれた魅力的なもの、またそれらに魅了された意識の高い人が集まる土地だと感じています。金沢をドライブしている人ほど、僕たちみたいなワケのわからぬ新参者を受け入れ、心から応援してくれ、僕たちのビジョンを後押ししてくれる、とても魅力的な土地だと思います。それと、東京は確かに情報収集には適しているところだけれども、ノイズの少ない金沢の方が、思考を深めることができるんです。

金沢は、たとえて言うなら「サザエさん的な街」。街のサイズが小さくて、どこで誰が何やっているかハッキリしている。その分、やましいことをしたら居づらい環境でもあるんでしょうけどね(笑)。みんなの顔が見えて、良い意味で気が抜けない。みんなで良い緊張感を保っているような気がします。そういった全体の環境を考えると、金沢以外で起業していたら、とっくに潰れていたかもしれないですね。(上町)

僕も、つくり手の思いに応えてくれる、いいところだと思っています。ものづくりの立場としては、僕らは作家でもなく、量産メーカーでもない中立的。作家とメーカーが協力し合うものづくりは、ともすれば作家自らの手を介していないと批判を受けることもあると聞きます。でも、僕らは『secca』という冠を掲げ、工芸メイドのかたちをとっていることで、やりやすくなっていると感じますね。(柳井)

起業で大変だったことは?

8、9割は苦労でした。でも、自分たちの糧になっているポジィティブな苦労です。経営のケの字もわからず、どうやったらいいか常に手探り。特に資金面に関しては頭を悩ませられました。会社勤めで貯めたお金600万円全てを投入して、家族からも300万円ほど借り、『secca』を立ち上げましたが、事業に資金を集中させても2年半で資金を食いつぶしてしまった。『涎屋』の方は赤字でしたし、資金が目減りしていくことと、やりたいことの狭間でかなり苦しみましたね。商売の素人が想いだけで事業をやるとこうなるってことですね(苦笑)。理解ある投資家から協力を得ることができ、「人様のお金を預かる」ことでお金に対する意識も変わりました。周りのメンターの方や『ISICO』(イシコ・石川県産業創出支援機構)などにアドバイスをいただきながら、収支計画から見積りの妥当性など、可能な限り見直した結果、3期目でようやく黒字化しました。現在は、器の売上げを伸ばす努力をしながら、工業デザインの委託業務が収入の中心となっています。

それから、起業で寝られない日々を過ごしているタイミングで離婚も経験し、当時は精神的にグチャグチャでしたが、それを乗り越えたおかげで強靭なメンタルを手に入れることができました(苦笑)。振り返ると金沢移住後、濃密な3年間を過ごしてきました。(上町)

これから起業する人へアドバイスを。

動くしかない! それ以上に目標に近づく方法はないんじゃないですかね。動いてみた「結果」が何よりも自分自身のやるべきことを導き出す材料になるのだと思います。(上町)

自分が夢中になれることをやって欲しいですね。世の中がこうだから自分のやりたいこととマッチしていないけど、というんじゃやっぱりいけない。「本当にやりたい」というパッションがあるのなら、僕は応援したいですね。やりたいことをやるには、自分に責任も出てくるだけに、おのずと粘り強さが生まれてくるはず。稼ぐことを目的にするよりは、遠回りするかもしれないけど、自分のやりたいことにストレートに向かった方がいいと思います。(柳井)

今後の展望は?

世界のすごいシェフに使っていただけるような、「これぞseccaの器だ!」と言われるものを創っていきたい。工芸という切り口の中で、自分の世代ができる新しい表現をしていきたいですね。それは、器だけに限らない、オブジェのような気持ちが豊かになるもの、魅せる工芸のかたちにも挑戦していきたいと思います。(柳井)

株式会社としてやっているので、この活動を産業の一部になるべく発展させたい。二人ともメーカーで経済活動の在り方に疑問を抱いて出てきたので、それに対するある種アンチテーゼとして、自分たちなりのアウトプットを経済循環に組み込み、新しい解釈を発信していきたいです。クリエイターや作家、職人が積極的に関わりたくなるような組織を目指し、意識の高い人が夢を持って集まり、熱い化学反応が日々生まれ、それぞれの想いをしっかりと造形して、金沢から世界に発信していく、そんな会社を目指しています。

あと、未来の目標として、もう一度飲食店をやりたい。そのために料理のルーツに迫ろうと、江戸時代の文献などを紐解いて研究を始めたところです。時代と共に変化を続ける饗応料理の構成や軸となるコンセプトに対する理解を深め、現代の解釈で再考したらどのようなコンセプトやそれに対応した空間や道具、料理になるのかをカタチにしたいと漠然と考えています。(上町)

編集:きど たまよ  撮影:黒川 博司