自らの手で丁寧に仕立てるスープで
お客様に幸せを感じてもらいたい。
# 30
四十洲 恵美
EMI SHIKASU
飲食業
eden
Profile
1971年、金沢市生まれ。21歳から24歳まで銀行勤務の後、結婚を機に専業主婦となる。夫の転勤にともない札幌と大阪へ。数年後に金沢に戻り、忍者寺の案内係、司法書士事務所にて事務職などを経験。母親の介護をきっかけに実家の化粧品経営に12年間携わる。2017年8月から市内の有名フランス料理店のホールスタッフとして2年間勤める。’20年3月に、長町にある「すみれハウス」でスープの専門店「eden(エデン)」をオープン。
起業までのいきさつは?
夫の転勤で札幌や大阪で専業主婦として暮らしていましたが、金沢に帰郷してからは、寺町の忍者寺の案内の仕事に就きました。実家が自営業だったこともあって、人前で話すのはわりと得意な方で、「こちらをご覧ください」って言いながらお客様を案内したのはなかなか面白い経験でした。その後、病気になった母親の介護をしながら家業である化粧品店経営を12年間手伝っていました。この先の人生このまま終わるのかなと覚悟を決めていましたが、母はほどなく亡くなってしまい、その失望感があまりにも大きかった。とにかく働いて気を紛らわせなくてはと、その時ちょうど金沢にオープン間近のフランス料理店に入社して、ホールスタッフとして働き始めました。
早朝から夜遅くまでの仕事が続き、ついに疲弊した私の姿を見かねてマネージャーが「楽しんでやっているのなら意味があるけど、辛いと感じるのなら、その時間がもったいないよ」と声をかけてくれました。その言葉に「自分が心から楽しめる仕事って何だろう」とあらためて考えて出てきた答えは「自分の手で作ったものを直接お客様に届けたい」という思いでした。ホールスタッフの仕事では、出来上がった料理をお客様に運ぶだけで、その料理について自分が100%わかっているわけじゃない。だけど、自分で作ったものなら自信を持ってお客様にお出しできる、と。そのフランス料理店は一度に100人ものお客様が入るような大きなお店だった反動か、逆に小さいことをしたくなったんですね(笑)。たまたまフランス料理だったから必然的に料理関係の仕事になったわけですけど、一人の男の子のスタッフの頑張っている仕事ぶりにも影響を受けて、それまでのお客としての目線に加え、作り手側からの景色も眺められ、360度見渡せるようになったことも大きかったです。料理を通じてお客様に幸せを感じて楽しんでもらえるお店をつくりたいと考えました。
最初からスープの店を考えていたわけではないんです。スープの店にたどり着いたのは、野菜などの食材も皮が付いたままソテーしてスープに仕立てることができて無駄が出ない調理法だということが一つあります。もう一つは母親を介護していた時に、最終的には流動食になっていき、それでも人間は死ぬ間際まで食欲があるものだということを知れたことです。食べることは生きるうえですごく大切だし、赤ちゃんからお年寄りまで幅広い層に楽しんでいただけるスープは、作っていてきっと楽しいはずと思いました。といっても職業としての調理経験は皆無だったので、厨房でフレンチのスープを作る様子を見たり、起業を決めてからは仕込みの手伝いもさせてもらったりして、素材の使い方を学ばせてもらいました。とはいえ、私の作りたいスープは、古典的なフランス料理のようにバターやクリームがたっぷり入った、こってり系とは違って、あくまでも野菜が主役で、素材の味を最大限に活かした味わい。だから、特別なテクニックは要らないし、家庭でもできるんじゃないかというほど、ただただシンプルな作り方です。今思えば、もう少しキッチンの方の勉強をしておけばよかったかな(笑)。
使う食材はできるだけ農家さんから直接仕入れるようにしています。食材業者さんとの取引はしておらず、特に季節ものの野菜は揃えられない場合もあるので、その時には自分でJAやスーパーなどに仕入れに行きます。店舗や厨房の広さがなく大きな熱源は置けないので、家庭用の冷蔵庫や調理器具を使って、基本的にスープはその日の作り切りです。お母さんが冷蔵庫を開けて、今日はこれがあるからこのスープを作ろうという感じでやっているので食材の無駄が出ません。冬は夜に仕込んで朝に仕上げ、夏場は朝から早く来てその日の分を仕込みます。お母さんが家族のために作る料理の延長だから、お店らしくないかもしれませんね。
起業で大変だったことは?
「これこそが自分の使命だ! 私がやらなきゃ」と何かに取りつかれたように始めたので、不思議なくらい不安に感じることはなかった。何も考えずに不動産屋に飛び込んで、こんなお店をつくりたいと相談すると、早いうちにこの場所を見つけていただいて即決しました。築48年のアパートの2間続きの畳の部屋を改装しました。インテリアへのこだわりはそんなにないんです。あまり考えずに自分の好きなものを集めていった感じで、アンティークがあったり新品の丸テーブルを合わせたり、それがうまく馴染んでくれて、お客様からはほっこりして落ち着くとの声をたくさんいただいて嬉しいですね。
資金面については、私には子どもがいないのでこれまで貯めた老後の資金的なものを使って、あとは少しだけ日本政策金融公庫で女性起業家の金利優遇の制度を利用して融資を受けました。運転資金があったから融資の審査はスムーズでした。金沢市の助成金制度も調べましたが条件にかからなかったため申請していません。物件も資金面もとんとん拍子に進んでいったものだから、「余計やらなきゃいけない」という使命感に駆られましたね。起業のきっかけをもらった前職のマネージャーからは「裏通りの人目に付かないところにお店を構えるなんて、すごいことに足突っ込んだよ」なんて言われてもその時はピンとこなくて、堂々としていない感じが小さいことを始めるにはいいかなって。でも、本当に大変だったのはお店を始めてから、コロナ禍の影響がとても大きかった。
宣伝広告はしていません。でも、最初から常連さんがついているわけじゃなく、お店の場所も場所なので通りすがりの人がふらっと入ってくれるはずもないので、とにかく、ここにこういう店があるということを知ってもらわなきゃと思って、店舗の改装工事段階からインスタグラムでの発信を続けてきましたし、オープン前にはせせらぎ通りのイベントにも参加して「ひらみぱん」さんとコラボレーションしてスープをお出ししたり、「Coya.(コヤ)」さんの場所をお借りしてスープの試験販売をしたりする機会にも恵まれました。おかげ様で口コミが広がって、オープン時の集客につながりました。開店1ヶ月ほどは順調に走ったはずですが、4月からの緊急事態宣言でイートインを休止にして、テイクアウトのみの受け付けにせざるを得なくなりました。幸い、スープはテイクアウトしやすい商品とはいえ、お昼ごはん的な需要が高く、急遽お弁当スタイルにして準備することにしました。その分スープ以外の料理も用意しなきゃいけなくなったのは全く想定していなかったので大変でしたね。
それから2ヶ月経った6月頃からようやくイートインを再開することができ通常営業に戻ったことで、リピーターもじわじわ増えてきて、インスタグラムを見てくださった新規のお客様も来てくださるようになりました。路地裏の店なのに皆さんよく見つけて来てくださったと思うと、本当にありがたいですね。お客様は女性が多いのはもちろんですが、定期的にいらっしゃる男性の一人客や、90歳のおじいちゃんまで来てくださって、思ったより客層の幅が広がりました。
起業するにあたっての相談はほとんど誰にもしていません。家族もお互いに自由にしてもいい感じなので、ほぼ相談なし(笑)。私は人に言われても言うことを聞かないタイプなので全部自分の頭で考えて、わからないことはインターネットなどを使って自分で調べられますしね。最初からお店はひとりでやると決めていましたし、自分が全て関わることでお客様にしっかり説明することができる。それが本当のところいいのかどうかはわかりません。私がもっと若ければ誰か人を育てようとかにパワーを使えるかもしれませんが、今はもう自分のことだけで精一杯(笑)。それならその分、お客様にちょっとでも伝えられることを伝えていけばいいのかな、と。
それから、仕込みも片付けも経理も、お店のことを全て一人でしなきゃいけないのはさすがに大変ですね。ありがたいことに父が朝掃除に来てくれたり、ランチで忙しい時にお皿を洗うのを手伝ってくれたりしてとても助かっています。そんな家族の裏の支えもあって成り立っています。
金沢で起業する魅力は?
金沢生まれの金沢育ちの自分がいた場所だから金沢で起業したわけで、自分が若かった時は美術館もなかったし新幹線も早く誘致してって騒いでいた時代でしたが、古都金沢のイメージから、全国へ魅力を発信できる洒落たまちに変わって新しい魅力が生まれ、その開かれたまちと伝統のまちが融合しているところもまた魅力です。金沢は小さなまちだから県外からいらっしゃっても1日あれば充分まわれるし、何度も来たくなるような四季折々の食材なり気候なりを楽しめるから、そういった面では観光都市としてはすごくいい。しかも、飲食店経営をするにも金沢は海も山も里もあって魅力的な場所ですね。
でも、私がやりたいことを叶えるためには、たぶん場所はどこでもいいんです。スープをというより、人なのかな。自分を表現する場をつくれば自分の思いが人に届けられるような気がします。まだオープンして1年程度だからそこまでできていませんが、慌てなくてもいいのかなと思うので、今はまずお店の存続を優先して頑張らないと。実際には私一人でやっていることもあって、経営面は赤字ではないので順調に見えるかもしれませんが、どうしても日によって浮き沈みがあるので毎日いいかといったらそうじゃない。精神的な疲れみたいものがあって、安定している感覚はずっと持てません。それでも、「お店をつくったらやっぱり夢がないと」と聞きますし、自分の夢をなくさずに続けたい。やりたいことはいっぱいあっても、なかなか順調にはいかないですけどね。
これから起業する人へのアドバイスを。
もし迷っているんだったら、「迷わずに行け!」とつい言いそうになるけれども、今はやめた方がいいと思います。これから起業する方はきっと50歳の私よりずっと若いと思うし、そういう方にとったら、50歳になるまでに色んなことがまだまだあるはずだから。私でもこの歳になって、やりたいことを見つけて実現できたし、迷いは一切なかった。だから、迷っているんだったら少し立ち止まってみてもいいんじゃないかな。来るべき時にすんなりと自分に落ちてくるものだから、ずっと探して考え続けていればきっと、やりたいことを起業できる日がやってくるはず。フランス料理店勤務は私にとって体力的にはしんどかったんですが、仕事自体は楽しくて、その時はここで骨を埋める覚悟で働いていました。でも、それは最終章じゃなくて、もっと違う世界の「スープのお店を持つ」という新境地があったわけです。私みたいな年配な人だってまだまだ起業できると言いたい。人生、何が起きるかはわからないから。
今後の展望は?
近い未来の展望としては、店内で絵画の展示などをしてもらうとか、スープの提供だけにとどまらず、他の方とのコラボレーションもやりたいですね。実は、いつもやりとりしている農家さんとの野外イベントの話も出ているし、そういった人のつながりや自ら発信する機会を今後はさらに増やしていきたいです。
もっと先の将来には、里山でなく、まちなかの小さなアパートでもできる循環型社会に関わることをしたいんです。例えば、ここには庭があるので堆肥を作って栽培したハーブや野菜を直接摘んでもらって、スープにのせて食べていただくなど、実際にお客様に手に取ってもらえるような試みに挑戦してみたいですね。お店には「人とモノとを大切に」というコンセプトがあり、私自身、ゴミを減らすといった環境問題に興味があります。以前、ミミズと魚とウサギを飼って作った堆肥で野菜を栽培してメニューに活かすベトナムのピザ屋について紹介されたコラムを読んで、そんなふうに私もできるようになったら、一般の人もできるということをお伝えできるかなと思っています。まだ本格的にはスタートできてはいませんが、まずはその第一歩として「キエーロ」というゴミを分解するバクテリアを使ったコンポストを庭に置きました。明治生まれの祖母といっしょに暮らしていたので、「もったいない」が連続だった日常の経験が自分の根っこにあります。その精神が今の新しいものといっしょに自然な形で取り入れていけたら理想的です。小さなことを丁寧にしていきながら、お店やスープを通じて、そんな自分の思いをたくさんの人に伝えていきたいです。
2021.2 編集:きどたまよ 撮影:黒川博司