はたらこう課

Interview

リレーインタビュー

鉄板中華という新スタイルを強みに
誰もが気軽に楽しめる店づくりに挑む。

# 17

多川 滋樹

TAGAWA SHIGEKI

料理人

鉄板焼き あつあつ

Profile

1981年、金沢市生まれ。高校卒業後、大手家電量販店に入社。退職後、建設現場や夜の仕事などを経験し、27歳から金沢の鉄板焼きの人気店で2年半、大阪の高級鉄板焼き店で3年間修業。2015年2月に金沢市片町で『鉄板焼き あつあつ』をオープン。A5ランクの飛騨牛や、鉄板で仕立てる中華料理など、オリジナリティ溢れるメニューと、きめ細かいもてなしが評判を集める。

起業までのいきさつは?

高校卒業後は企業に就職したんですが、自分には会社員は合わないと思って、数週間で退職しました。その後は、現場仕事などいろいろと職を変えました。しばらく夜の仕事に携わっていた時期もあったのですが、体のことを考えると長くは続けられないと考えていたところ、僕がよく訪れていた鉄板焼き店のマスターから「やってみないか?」と声をかけられました。カウンター越しにお客様に話しかけながら調理するということが、夜の仕事経験もあったからか、自分によく合っていたと思います。

鉄板焼き店で働き始めた時から独立を見据えていましたが、昔から僕に目をかけてくれる知人から「一度県外に出てやってみたら」というアドバイスをもらい、大阪・北新地の高級鉄板焼きの店で3年間と期限を決めて修業させてもらいました。とはいえ、入った当初はスタッフからは「30歳にもなる人間が一体何を修業しに来たんや?」という顔をされて、誰も口をきいてもらえなかった。そこで、僕は人より1時間早く出勤して、みんなが来た時すぐに仕事にとりかかれる状態に準備しておくようにしました。それは勤務した3年間きっちり続けました。そのうちに可愛がってもらい、仕事について1から10まで教えてもらうことができました。

特にサービス面に関しては徹底的にたたき込まれました。例えば、空いた皿をさっと下げるとか、空いたグラスを見てオーダーを聞きに行くとか、ちゃんとできなくて怒られましたね。そこの店長は僕より年下にもかかわらず、お客様すべての名前を覚え、嫌いなものもちゃんと把握しているという、本物のプロフェッショナルだった。そこまでは無理でも、痒いところに手が届くサービスをしなくちゃいけない。言ってみれば、料理がおいしいのは当たり前で、あとはサービスの部分が店の良し悪しを決める。初めてのお客様には必ず名刺をお渡しする、調理中でもお客様のお見送りは必ずしっかり行うなど、今も続けていますが、どこまで気持ちよいサービスをできるかにかかっているんです。そういう接客サービスが何たるかを目の当たりにできた大阪での修業は、間違いなく自分にとって大きかったです。

独立開業にあたり、ほかとは違うことをやりたいと思って、鉄板で調理する中華料理を提供しています。鉄板焼きをもっとカジュアルに若い人も楽しめる店にできればと思っています。だから、アラカルトメニューで気軽なスタイルでと考えていたんですが、調理するのは僕一人なのでそれは難しく、今は基本的にはコースのみでやらせてもらっています。ただし、料理の取り分けはお客様にお願いしています。その分、A5ランクの飛騨牛のステーキなど、他の鉄板焼きより良いものを使い、リーズナブルに提供しています。大阪・北新地や東京・銀座といった場所では、鉄板焼き店は寿司屋と同じで高級店です。どちらも、カウンター越しにお客様にも調理の様子をお見せしている分、下手なものは使えないし、ロスがとても多い商売なんです。それをいかにうまく回せるかが勝負。いいものを安くお客様に提供したいという思いで、仕込みにしっかり手間暇をかけて頑張っています。

独立起業の不安や苦労はなかったですか?

資金は、有り難いことに知人からの融資を得られて、とても恵まれています。ただ、物件探しには苦労しましたね。大阪にいる時から探していたにもかかわらず、この物件が見つかるまで2ヶ月もかかりました。場所はどこでもよかったけれど、できれば馴染みの深い街なかでやりたいと思っていて、北陸新幹線の開業直前にたまたまここが空いて決めました。犀川のほど近くという、お客がつけばとてもいい立地です。でも、オープン2日目にして売り上げゼロとなり、1年目はそんな日ばかりが続き、ほんとに食べていけなかった。新幹線効果も僕には関係なかった。よく「3年は我慢すべき」って言うけれど、3年も我慢できないと思いましたね。

手伝ってくれた兄や飲食店オーナーなど周りの人たちからは、絶対広告を出した方がいいって言われていたけど、その時はまったく言うことを聞かなかった。口コミだけで集客できるかなと思っていたけど、世の中そんな時代じゃなかったんです。自分から進んでどんどん発信していかないとお客に自分の店を選んでもらえない。それであらゆるグルメサイトに店の情報を載せると数ヶ月後にリアクションがありました。自前でホームページも制作しましたし、Facebookやインスタグラムでも情報を発信しています。地元雑誌で麻婆豆腐を紹介されたことがきっかけとなり、お客が少しずつ増えてきました。あとは自分がいろんな店に飲みに行って名刺を置いてくるのも大事な営業の一つで、それは今も継続しています。

金沢で商売することをどう感じますか?

大阪の飲食店では、サービスが悪かったり、料理がまずいと、お客はズケズケ言ってくる。それはまた来たいから言ってくれるんです。オープン間もない頃は、まずいものもお出ししたんじゃないかと思いますね。肉を常温に戻して焼くんですが、その加減がきっちりできていなくて、お客様が鉄板に肉を戻して温めていた姿を見て、はっとしたことがあります。でも金沢のお客様だとクレームは何も言わず、次は絶対来てくれない。ちょっとしたことをこちらが気づかないと商売はやっていけませんね。

それから金沢の狭さはいいところだと思います。知り合いの知り合いがつながっていたり、どこか1ヶ所に行くと仲間のみんなに会えたりします。このあいだ、自分の自転車が盗まれてしまい、SNSで発信していたら、みんなが街でも声をかけてくれて、ついには返ってきたんです。びっくりしましたね。ほんとにいい街です(笑)。

これから起業する人へのアドバイスを。

偉そうなことは言えないですが、商売はそんなに甘くないということです。最初からいきなりうまくいくというのは稀です。だから、何でもお金をかけ過ぎない方がいいと思いますね。もちろん、お客様に満足してもらうための部分にはお金をかけないといけませんが。それから、人のアドバイスに耳を傾けることも必要ですね。僕の場合は、最初のうちは頑固に自分の考えだけでやっていたけど、家族や周りの人たちの助言を守るようになってから、店の方もよくなってきたのかなと思いますから。この店は自分ひとりじゃなく、周りの人たちにつくってもらっているんだと今は実感しますね。

今後の展望は?

一緒にやってくれる人がいればですが、3店舗ぐらい展開していきたいですね。自分がちゃんと見られる範囲となると、これが限度でしょうね。今よりも、若い人が肩肘張らずに来られる気軽なお店にしたいと思っています。成功している経営者の方に「30代はさぼるなよ」ってよく言われるんですが、さぼった分、ある程度にしかならないということです。だから、僕はとにかく今は一生懸命に基盤づくりしているところですね。もちろん調理して接客する現場も好きだけど、のちのちは経営者になって、働いている人を幸せにしたいし、自分がしてもらったのと同じように、人に投資できる人間になりたいと思っています。

今、仲間でバスケチームをつくって、楽しみながら体力づくりをしています。お互いに情報交換ができるし、心の支えにもなる。仕事にも活きています。メンバーは起業している方が多く、どうしても夜遅くの活動になってしまいがちで、練習場所の確保が難しいこともあり、いつか地域の子どもたちも利用できるようなレンタルコートをつくりたいと考えています。地元にも貢献できて、ビジネスとしても成り立てば嬉しいですね。さらに理想を言えば、バスケの試合観戦しながら食事ができるレストランやカフェをつくれたら最高。まだまだ遠い先の話だけど、叶えられない夢じゃないと思っています。

編集:きど たまよ  撮影:黒川 博司