はたらこう課

Interview

リレーインタビュー

能登町の祭り文化の存続のために
その本物の熱さを映像で発信する。

# 24

辻野 実

MINORU TSUJINO

WEBデザイナー

SCARAMANGA/NOTONOWILD

Profile

1982年生まれ、鳳珠郡能登町(旧能都町)出身。高校卒業後、大阪の大学へ進学し、マーケティング会社に就職。2007年の能登半島沖地震を機に石川県に戻り、金沢市内の企業で4年間勤める。’121月、ウェブデザイナーとして独立。’16年、能登町の祭りや風土を映像・写真で紹介する「能登のワイルド」プロジェクトを立ち上げ、様々なイベントなども企画。’184月、デザイン会社『SCARAMANGA(スカラマンガ)』を法人化。能登町定住促進協議会のホームページやブログにも携わる。

起業までのいきさつは?

高校卒業後は地元を離れ、大阪の大学に進み、大阪にあるマーケティング会社に就職しました。数年したら、大阪支社を閉鎖して東京本社に一本化されることに決まりました。その時ちょうど能登半島沖地震が起こったこともあり、実家のことが心配になり、その会社を辞めて県内に戻ることにしました。金沢市内のある会社に再就職して、自治体向けのHP制作や防災無線システムなどの営業マンを4年間務めました。

それでも、手がけるなら、自分が1から携われるものを、という一心で、ウェブデザイナーとして独立することにしました。ウェブ制作についての基本的なことは前職で習得していたので、あとは独学で知識や技術を補いました。

現在は、企業のホームページ制作やシステムの組み込み、デザイン会社からのコーディング(ウェブ制作の工程の1つ)の仕事などもしています。僕はデザインの学校では学んでいないので、いただいた仕事を通じて大いにデザインを勉強できることが有り難いし、それが自分のスキルアップにも活かされています。

起業で大変だったことは?

パソコンなどは手持ちのものでスタートさせ、少しずつ機材を揃えていったので、起業のために特別に資金準備はしていません。前職で営業マンだったことから、取引先の企業が応援してくれて、お客からの紹介や口コミで仕事は順調に増えていきました。

それでも、初めの頃の資金繰りはやっぱり苦しかったですね。仕事をいただいてから、制作に取り組んで収入を得るまで最低3ヶ月はかかるからです。状況によっては、ウェブの公開が伸びてしまうこともあり、ますますキャッシュフローを生み出すのが難しくなっていくといった状況でした。

「能登のワイルド」という活動が注目を集めています。

能登町は僕が生まれ育った故郷。5、6年前、子どもを肩車して能登町のあるお祭りに行った時に、「祭りってこんなに寂しかったっけ!?」と自分の中にある記憶とはずいぶん違っていたことに愕然としました。どうしても気になって能登町の人口統計を調べてみたら、過疎化がかなり進んでいて、単純計算しても30年後には祭りがなくなってしまうことがわかったんです。これはやばい、なんとかしなければという危機感を覚えました。僕の住んでいた町の祭りだって、ずいぶん前に消滅してしまいましたから。

祭りはいわば僕たちのアイデンティティであり、その誇りが失われると町が死んでしまい、誰もUターンしなくなるんじゃないかって、「何かしよう」と同級生たちに声を掛けても、「は?」「何を言っているの?」というような反応しかなかった。ならば、賛同してくれる仲間を増やすためにも、自分が携わるクリエイティブな力を活かして、能登町の情報を発信して拡散させよう、と思い至りました。

能登町は人口わずか1万7千人の町ですが、実は今でも年間100日も祭りが行われている土地柄。祭りのために会社を休んで帰郷する人だって珍しくないけど、祭りがあっても帰ってこない人も多い。そんな人たちを能登町の祭りにもう一度呼び戻したいと願って、映像や写真を撮影して発信することにしました。それも普通の祭りの動画じゃなくて、BGMとともにカッコよく魅せる、他にはないものにこだわりました。

「能登のワイルド」と名付けたのは、ワイルドという言葉に祭りの風景に漂う侘しさや哀しさ、楽しさが集約しているのではないかと思っていて、僕の好きなヒップポップからも影響を受けています。祭りの写真だけでなく、能登町にある空き家の写真にもロゴを入れて紹介することで、色んな気づきを知ってもらえたらと思っています。

最初に完成させたのが、宇出津のあばれ祭りの動画です。ホームページと動画を同時にアップして、プロジェクトのスタートを告知しました。2年ぐらいしたところで、しっかりコンセプトを打ち出して、ウェブ広告を出すと、一気に広まりましたね。特に地元の人に知ってもらいたいという思いから、能登の祭りにも直接足を運んで、それぞれの祭りに関わる地元の人たちに、ロゴ入りの手ぬぐいを配布して回るという地道な宣伝活動もしました。

撮影で一番気を付けるのは段取りですね。祭りはあくまでも神事なので、そこのところをわきまえておかないといけない。神輿自体に近づいたり、触ったりするのはとても危ない行為だし、神様を汚す行為でもあって、祭りの担い手たちも怒ってしまうんです。あばれ祭りでは最後に神輿を壊して、それを神様に納める儀式があって、これは一般の人は絶対に入れない神聖な場所です。僕は、事前に自分の動画制作にかける思いを祭りの参加者たちにしっかり説明して理解してもらったおかげで、思いがけずその貴重なシーンを撮影させてもらえることに。おそらく一般では初めての撮影だったはず。仕上がった映像を、協力してくれた地元の人たちがとても喜んでくれたのがなにより嬉しかったですね。

どんな反響がありましたか?

これまでに9本の動画を制作して配信しました。今年は能登町で「能登のワイルド」の写真展を開催することができましたし、全国紙も含め、何社もの新聞でもこのプロジェクトが記事に取り上げられたことで、町としての認知度も少しずつ上がってきたとの実感があります。

能登町には、女装した男の子が神様になって家内安全を唄と踊りで祈りを捧げる「白丸曳山祭り」という奇祭があるのですが、あと数年で小学生がいなくなり祭りが消滅しつつある状況です。能登町の祭りの状況を知った能登出身者の子が、この祭りのために歌と踊りを覚えて参加してくれました。金沢在住者ではあるけれど、久しぶりに担い手が増えたことは今までにない大きな成果です。また、能登の酒造メーカーとコラボして、「能登のワイルド」の日本酒を50本限定で発売してみたら、ものすごい勢いで売り切れて、こちらも手応えを感じています。

今じゃ、能登町では大人から子どもまで、僕を見ると「能登のワイルドの人だ!」って呼ばれるぐらい顔が知られるようになったけど、本業はウェブデザイナーってことは知らないかも(笑)。数年の間は一人でやってきましたが、能登出身者の仲間が少しずつ集まり、手伝ってくれています。メンバーは現在19人いて、金沢在住者がほとんど。メンバーの発案でフェスを開催したことも。そんなふうに何かイベントを企画した際に、メンバーに声掛けをして活動をしていますが、いずれはメンバー同士が活動を起こすようになればいいですね。

「能登のワイルド」はあくまでも趣味として、自分のおこづかいでやっています。お金を発生させてしまったら、「本物」ではなくなってしまうと思うから。だから、この先も事業化するつもりはありません。ロゴ入りTシャツなどのグッズも制作して、能登町の洋服店などで限定販売しています。どの祭りでも「能登のワイルド」のTシャツを着て参加してくれる人が増えて根付いてきたのは嬉しいかぎり。以前は1枚1枚シルクスクリーンを使って手作業でコツコツ印刷していたのが、現在は業者に外注して原価は下がったものの、利益は出ません(笑)。

金沢で起業することの魅力は?

ウェブデザイナーの仕事としては、とりわけ金沢だからというのはありませんし、将来的には能登にも事業所を持ちたいと考えているんです。それより、東京にも大阪にも名古屋にも行きやすく、仕事の拠点としての便利さにメリットを感じています。県外で仕事をすると、金沢のブランディングのうまさを実感させられます。魚がおいしいとか、楽しそうなところだとか、多くの人に認知されている土地だということです。初対面の相手でも話題に困らず、仕事の取っ掛かりになるのは、金沢で起業した強みになっていますね。

デザイン会社を法人化した理由は?

事務所を法人化したのは、自治体の仕事に力を入れようと考えたからです。ウェブデザイナーって世の中にごまんといるでしょう。自分が40歳になった時のことを考えたら、一流の人たちと対等に戦えるようなものをつくれるのかといえば、正直なところ自分には厳しいし、この仕事をいつまでもずっと同じように出来るかとなったら難しい。それなら、自分の故郷・能登町を盛り上げる人材になりたい、そして地方に特化したデザイナーとしてならやっていけるんじゃないかと。

田舎の会社のほとんどはホームページを持っていません。あったとしてもそれが利益を助けるような機能を果たしていない実情があります。一方で、地方へのUターンやIターンを考える人たちにとって、一番大きな要素を占めるのはなんといっても仕事です。ただ仕事の待遇面を示すだけでは、そこで自分が実際に生活する姿をイメージしづらいんです。それなのに、なぜ能登町のいまの活動を伝える媒体をつくらないのか、と。自分たちの利益だけじゃなくて、町全体のことを考えていかないと、と常に能登町の人たちに伝えています。

「能登のワイルド」の活動が、本業にもうまく結び付いて、能登町の定住促進協議会のホームページや移住者ガイドブックなどの制作に携わらせていただいています。そこでは、「能登で生きるのは難しい」「地域の一員となる覚悟がなければ」とあえて厳しい言葉を交えて紹介しています。その効果もあってか、真剣に移住を考える人が多く問い合わせてくださり、定住につながるケースが大幅に増えました。

現在は、自宅近くに部屋を借りて仕事をしています。というのも、長年の趣味であるラン栽培のためのスペースが必要だったからです。今は50種類ぐらい栽培していますが、ランは温度や湿度の変化にとても敏感なのですごく手がかかります。能登のオフィシャルの仕事が増えたのは喜ばしいことですが、そのために事務所を不在にすることが多く、ずいぶん枯らしてしまい、なんだか複雑な気分です(笑)。

これから起業する人へのアドバイスを。

デザイン事務所を法人化したことに関しては、社会にイノベーションを起こしたいと思ったからです。何はともあれ、動かないと機は生まれない。だから、自分の中で何か成し遂げたいものを持って、起業した方がいいと思います。僕の場合、それが「能登町」でした。

今後の展望は?

来年には、能登町にゲストハウス兼シェアオフィスをスタートする予定で動いています。例えば、デザインやライターのようなクリエイティブな職業の人にとっては働き方が色々あって、どこで制作したって構わない。島や田舎に住みながら仕事をしたり、人が集まったりできる場所をつくりたいと思って進めています。能登空港があるから、羽田と能登をたった1時間で行き来できますしね。

自分のライフワークとしてもこれからも「能登のワイルド」の活動はずっと続けていきたいし、本業のウェブデザイナーとしても能登の魅力発信に関わっていきたい。いつか、「能登で働くのがお洒落だよね」というところまで持っていけたら最高でしょうね!

編集:きど たまよ  撮影:黒川 博司