はたらこう課

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ノート

2021.04/15 Report

起業家紹介vol.8 Moog

自分の手を動かして、「現場のリアリティ」に触れ続けたい。

Moog 合同会社
広村浩一

1986年金沢市出身。金沢大学経済学部卒業後、高桑美術印刷(株)に就職。2014年AMD(株) に転職。東京勤務を経て金沢オフィスのプロデューサーとなる。2018年に同僚と共に独立し「Theme」を立ち上げる。2019年に法人として「Moog合同会社」を設立。デザイン、写真・動画撮影、クリエイティブプロデュースなど幅広い業務を担う。

石橋を叩いて渡るストリートボーイ

地元の桜丘高校を卒業して、金沢大学の経済学部に入学します。大学を選ぶにあたって特に明確な理由はなく、しいて言うならば小さい頃から周囲の大人に「金大に行け」と言われていたこと、そして僕自身それに対して何の疑問も抱いていなかったことがありました。むしろ「県外に出る」ということに少しビビっていたと言うか、「仲の良い友人達と離れてまで、なんで皆は県外に行きたがるのだろう」とすら思っていたほど。
就職に関しても同様で、祖父が「いい会社だから」と勧めてくれた「高桑美術印刷」に事務職として入社します。そこでは「生産管理」といって、幾多にも及ぶ印刷工程の段取りや調整をする仕事を当初担当していました。もともとすごく保守的と言うか、石橋を叩いて渡るようなタイプだったんです。
ただ生意気にも、入社1年目から「異動願い」を出していたんです。それは「仕事が嫌だから」では決してなく、「現場がどうなっているかも知らないままに、そもそも管理なんてできないのではないか?」という素朴な疑問が自分の中にあったからです。自分で手を動かしてみないと、本当の苦労や問題点は見えてこないのではないか、そう考えてのことでした。

中でも志願していたのは「プリプレス課」という、主にDTP的な業務を担う課でした。そこを選んだのには「IllustratorやPhotoshopを触ってみたい」という、ちょっとした下心もありまして。というのも、僕自身中学生の時からスケートボードをやっていたこともあり、「グラフィック」や「デザイン」というものにずっと興味と憧れを持っていたんです。けれど自分は極々普通の高校・大学を出ていてデザインとは無縁の人生を歩んできた。当時は「デザイナー≒IllustratorやPhotoshopをバリバリ使える人」という安易なイメージもあって、それらに触れられたなら少しはデザインの世界に近づけるのでは、と考えたんですよね。今なら「それとこれとは全く別物」だとハッキリ言えるのですが(笑)。
とはいえ、念願叶って入社から3年目でプリプレス課に移動させてもらえることになります。
そこでの仕事は、デザイン課から上がってくるデータを、印刷物として彼らが意図した通りの仕上がりに持っていくために微調整を重ね、印刷リスクを軽減するというものでした。Illustratorを使っているとはいえ、いわゆる“クリエイティブ”の仕事ではなく、どちらかというとすごく職人的な作業。けれど、それが自分の性に驚くほど合っていて、すごく楽しかったんです。こう言う地道な作業が心底向いている人間なんだなぁと改めて感じました。

仕事も軌道に乗ってきた頃、「社長塾」という社内勉強会のメンバーとして声がかかります。それは経営にまつわる様々なトピックについて各メンバーが調べてプレゼンするというもので、ここに参画したことをきっかけに、いわゆる“ビジネス書”というものを読むようになります。
当時僕が担当していたテーマは「交渉術」だったのですが、その時に読んだ本がすごく刺さったんです。簡単に言うと「相手を動かそうとしてはいけない」という内容だったのですが、そもそも利害が一致していない相手を論破しようとしても意固地になるだけだと。そうではなく、自分が限りなくベストだと思う解に対して、相手が自然に動くような“環境“をつくりだすことこそが大切だと、そこにはありました。

それって、「広告」や「デザイン」にどこか似てるなと思ったんです。直接的に売り文句を書いて扇動するや手法もあるけれど、そうではない情緒的なアプローチから人を動かすという点において近い。なんだか世の中に通底するセオリーを俯瞰して見られたような喜びがあって、そこからまた「デザイン」というものを意識するようになっていきます。

個として脆弱な、自分自身への疑問

プリプレス課で2年目を迎え仕事にも自信がついてきた頃、昔から良くしていただいている先輩から「広村、転職どうや?」と突然一本の電話がかかってきます。
東京のデザイン会社が、金沢オフィスの立ち上げに際しての求人を募集しているとのこと。僕は27歳ですでに結婚していて、当時も近く子どもが生まれる予定でした。普通に考えたら、嫁子どもがいて仕事も順調ならば、別に今の安定した会社を辞めなくてもいい。そもそも僕自身、手堅い人生を選ぶタイプの人間でしたし。

けれど「あれ、これでいいんだっけ?」とふと思ったんですよね。仕事はすごく楽しいし、人にも恵まれている。けれど、もし「広村くん、明日から来なくていいわ」と言われたら、果たして僕はどうなるのだろうかと。
社会で一人の大人として生きていくにあたって「仕事をして対価を得る」ということは必要不可欠なわけですが、その頃の僕は自分の部署外のことを全く知らなかった。「請求書って、どうやって出すんだっけ?」といった些細なことから始まって、「仕事のつくり方・進め方」というものがそもそもわからない。社会人として非常に弱い今の自分が、急に怖くなったんですね。このまま30代・40代を迎えてしまって、僕は本当に大丈夫なんだろうかと。

そして未知のデザイン業界へ

このタイミングで、僕の中で何かが吹っ切れたところはあるかもしれません。妻には一度反対されましたが、説得して28歳のときに「AMD」へ転職します。
最初は東京の本社に配属になり、肩書きは「プランナー兼プロデューサー補佐」。先輩に付いて、プロジェクトの進行補佐や“たたき”の提案書を作ったりと、アシスタント業務全般を担当していました。
初めて先輩が作るプレゼンシートを目にしたときに、A3の大きな紙の中央に、ちょこんと小さなコピーが書かれていて。今まで自分が目にしてきた情報過密な資料とは全く様式が異なっていて「おぉ…これがデザイン業界か…!」と興奮したのを今も覚えています(笑)。

右も左もわからない異業種への転職とあって、精神的にキツイ時期もありました。僕は新規営業も担当していて、企業のリサーチをした上で、自社と合いそうな企業に電話やメールでひたすら提案・営業をしていました。自分ではかなりガツガツやっているつもりでも先輩からは「遅い・少ない」と言われ、さらに案件が取れても、それをデザイナーやコピーライターに「どう作って欲しい」と的確な指示を出すことができない。一年後金沢オフィスに戻ってからも同様で、自分の仕切りが悪いことで皆にしんどい思いをさせていることがとにかく申し訳なくて。「人の役に立てないって、こんなにも辛いことなんだな」と、そのときしみじみ噛み締めました。

それでも、ポジションが人を育てるという部分もあるもので。曲がりなりにも続けてきたことで度胸がついてきて、少しずつ自分の提案で案件が取れるようになってきたんです。転職して4年目には同僚と共に独立することを決意します。

つくりたいのは「Good Mood」

独立してから、僕が一貫して大切にしているのは「クライアントとの何気ないコミュニケーション」です。何か根本的に課題を解決しようとしたときに、怪我の「患部」だけ見ていてもダメで、それは全く違うところからきているものかもしれない。雑談を交えつつ、その「源流」を探る作業を重ねていきます。

現在の社名は「Moog(ムーグ)」というのですが、これは実は「Good Mood」をもじったものでして。デザインって、成果物としての美しさのみに価値があるのではなく、それを自社のものとしてクライアントが手にしたときに、誇れるもの・モチベーションが上がるものであるか、ということが最も大切だと僕は考えています。
もちろん、いわゆる「デザインの力」で解決できる問題もあると思うけれど、どこまでいっても事業は人がやっていることなので、「その人のエンジンをちゃんとかけてあげる」ということの方が様々な課題に対して汎用性があるし、結果的にコストパフォーマンスも良くなるはず。デザインを媒介とした仕事として僕が関わらせていただくことで、その企業がいかに「いいムード」になるか。そのことが一番重要なんです。

そう考えるようになったのは、他でもない僕自身がクリエエイティヴの世界に触れて変わったから。
慣れない業界でしんどい時期がありながらも、クリエイティヴな人たちと関わることで僕の考え方はかなり変わったし、物事へ取り組むモチベーションというのものがすごく上がった。県外にも出れないような、石橋を叩きながら渡るタイプだった僕が、「やったことがないことへの挑戦」というものに全く抵抗がなくなっていたんです。何よりも、そのことが楽しかった。そんな影響を与えられる“クリエイティヴの力”というものを、自分自身実感しています。

肩書きを持たない理由

独立してから現在まで、肩書きのようなものは特に用意してなくて。依頼される業務は基本的になんでも受けていますし、案件によって自分の立ち位置を変えています。発注者が僕のことを「デザイナー」や「フォトグラファー」と呼んでくださる分にはいいけれど、僕自身がそれを語るのはおこがましいと思うからです。

デザインにおいてはまだまだだなぁと、自分で感じています。他のデザイナーさんの仕事を見ていても感心するところしかないくらい。僕はどこまでいっても多分「調整役」なんだと思います。そんな僕が、自分の手を動かし続けているのは、純粋にやってみたいのと、そして何より「現場のしんどさやツボ」というものを真に理解したい、という想いからなんです。
これまでも、現場のことを分かっているつもりで指示を出していましたけど、自分が実際にその立場になって手を動かしてぶつかった壁から得られたものとでは、だいぶリアリティの差があると思うんです。デザイナーなり、フォトグラファーなり、コピーライターなり、少しでも業務に関わったことがあると、「ここは前もって確認しておいたほうがいい」とか「握っておくべきポイント」というものが見えてくる。それが分かって初めて「調整役」として正確な段取りができるはずだし、関わってくださる方々にも一番力を発揮してもらえるのではないかなと。

この「現場を知りたい」という気持ちは、新卒時に「異動願い」を出した動機から変わっていないというか、自分の中でずっと一貫しているなと、振り返ってみて思います。
そういう意味では、「今後どうなりたい?」と聞かれると困ってしまう部分はあって。現在の仕事スタイルに固執している訳でもなく、自分自身が楽しく暮らしていく上で、今はこの働き方が一番しっくりきているというだけで、もしかしたら将来的に違う仕事をしている可能性だってあるわけです。

自分がどうなりたいかはわからないけれど、やってみたいことは明確にあります。それは「つくる人」と一緒に仕事がしたい、ということ。作家さんでも建築士さんでも料理をされている方でも、とにかく「自分で手を動かしている人」と仕事がしたい。現場にいる人の話には嘘がないというか、思考にリアリティがある。だから一緒に作り上げていくものも間違いなく良くなると思うんですよね。
僕自身も、何歳になってもずっと現場で手を動かしている人でありたい。下手くそでも、辞めない。これだけは唯一、決めていることと言えるかも知れません。

(取材:2021年3月 編集:柳田和佳奈)

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