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2021.04/15 起業家紹介

起業家紹介vol.6 Chomsky Coffee & Library

自分の「ご機嫌」は、自分でとる。

Chomsky Coffee & Library
林玄太

プロフィール
1982年大阪府出身。高校卒業後、徳島の祖父の家で鍛冶屋を手伝い、その後バックパッカーとしてアジアを中心に放浪。帰国後、京都の大学に入学。大学に6年在席し中退。その後小売系の企業のウェブ部門に就職。2015年に金沢へ移住してからは自家焙煎珈琲店「チャペック」で働き、2017年に独立。店舗をシェアする形で「Chomsky Coffee & Library」開業。その後同ビルの2階に移転。3児の父。

貧弱だった「働く」のロールモデル

高校卒業してから徳島の祖父が営む鍛冶屋で働き出しました。その道を選んだのは、「大学行って就職して」というイメージが自分の中で全然しっくりこなかったから。生き生きと、これから先を生きて行くにはどうしたらええかなと。徳島の爺ちゃんは楽しそうに働いてはるし、とりあえず自分の身近な職業からやってみようと。楽しかったけれど、当時ウェブも普及してなかったから田舎の鍛冶屋って全然儲かれへん。一年くらいして大阪戻ってきて、やりたいこと一個ずつやっていこうと。それで一年アルバイトして貯めたお金で放浪の旅に出ました。

旅先で同じように旅をする若い人と出会うことが多くて、その人たちとの会話がなんだか新鮮だったんです。もっと自分と同じ世代の人と喋ってみたいし、改めて勉強もしたいと思って日本に帰ってきてから京都の大学に入りました。
結局6年半大学にいて、もう新卒でもないし、どないしようかなと思っていたときにハローワークの職業訓練でウェブの科目を見つけて、「お金もらいながら勉強できるってええなぁ」くらいの動機で勉強を始めます。卒業して小売系企業のウェブ部門に就職するのですが、「お勤め」という働き方がどうしても合わなくて。自分にイニシアティブがないということが僕は耐えられなかったんですね。「普通」というものになりたくても、なれないことがわかった。

でも振り返って考えると、当時の僕の中での「働く人」のロールモデルが貧弱だったとも言えるのかなと。僕は大阪の下町育ちなので、周りにいろんな仕事をして働いている大人がいたはずなのに、なぜかネクタイを締めてバリバリ働く、どこか架空のサラリーマンの姿だけを「働く」イメージとして想定していた。そういう意味では今の店の形態はそのギャップを埋めていった結果といえるのかもしれません。

初めての土地で、初めてのことを

金沢に戻って来たのは第二子が生まれるタイミングで。大阪での暮らしは部屋も狭いし、稼ぎも一馬力(奥さんは当時専業主婦)。保育園も遠いし、何より待機児童が多すぎて入られへん。そんなタイミングで里帰り出産で金沢帰ったときに、一時保育がスルッと決まって。カミさんも「仕事したい!」と言ってたし「ほな僕も仕事やめて金沢行こうかな」というノリでした。

移住にあたって、最初はウェブの仕事を探してたんですが、たまたま「コーヒーが美味しいよ」と教えてもらった「東出珈琲店」で、後の修行先となるチャペックを紹介していただくことになります。コーヒーはもともと好きやったけど、そもそも僕は今まで飲食店で働いたこともない。でも、初めての土地で初めてのことするってなんか新鮮でええなって。それに、自分は金沢のこと全然知らないし、街のことをよく知ってる人のアドバイスはそのまま聞いておこうと思ったんです。
チャペックでは2年3ヶ月働かせてもらいました。焙煎を直接教えてもらったことはないけれど、マスターがやってはることを毎日見て、あとはマスターの修行先である「カフェ・バッハ」が出してる本読んだり。そしたら、最初は意味不明だった焙煎室のホワイトボードの内容が、毎日ちょっとずつわかるようになってきたんですね。
ウェブの仕事はいかに早く最適解に行き着くかの勝負でしたけど、コーヒーってどこまでいっても正解がない。いつしか「これは面白い仕事やなぁ」と思うようになっていました。

独立したのは本当にご縁で。「niginigi」さん(当初の店舗シェアパートナー)が移転することになって場所を探してはって、家賃結構高いからどないしよ言うてるところにたまたま僕が居合わせて。そしたら石引パブリックの店主が「林君と2人でシェアしたらいいんじゃない?」と提案してくれて。niginigiのチカさんもたまたまチャペックで一緒に働いてた仲だったので、その場で「じゃぁ一緒にやりましょか」と。
僕らが決めたルールは“家賃を折半する”ってことだけ。極力お金かけず、手元にある材料で、手作りで店をつくっていたので、開店時点では借り入れはしていません。

状況の変化に、柔軟に対応するために

その後、「石引Veeda」さんにシェアパートナーが変わったりしながらオープンから3年が経った頃、新型コロナの感染拡大による緊急事態宣言が発令されて。そこで僕は路面店から現在の空中店舗への移転を決断します。
客席数はこれまでの半分以下になりましたが、この選択をしたのは従来の「飲食店の方程式(客単価×席数×回転率)」がこれからは通用しなくなるという予感があったからです。「最大公約数」なお店ではなく、「最小公倍数」のようなお店を目指そうと。そして危機を一時的に乗り切る「非常形態」としても、この形をとりました。
状況が大きく変化した時に、柔軟に対応できること。これは今回のコロナウイルスに限らず、事業を続けていく上で重要なことだと思っています。例えば大きな話でいうと、今の気候変動が今後も続いた場合、2050年にはコーヒーの生産量は半減すると言われていたりします。近視眼的に物事を見るのではなく、僕らも長い目で持続可能性を考えていかなくてはいけないわけです。

大きな問題を、小さな店にどう落とし込むのか。そういうことを考える時間を一度立ち止まって持ちたくて、この春は一ヶ月間喫茶営業はお休みして、豆売りだけに専念させてもらうことにしました。この間に、オンライン販売の準備も進めたり、以前からやりたいとおもっていたことをいくつか走らせたいと思っています。
こういう判断ができるのも、一人でやっていることと、あと一番はハコ(店舗)にお金をかけていないことが大きいと思います。今の店舗は材料費だけでいうと8万円程度ですし、改修工事もDIYです。事業を始める時、店構えにお金をかけがちだけど、あれが重たい。方向転換できるだけの下地と身軽さを持ち合わせておかないと、いざ危機的状況になったとき、場当たり的な対処療法しか選択できなくなってしまいます。

「しんどいところ」や「できてないところ」を見せない商売のやり方は一つの美徳ではあるかもしれませんが、今のような状況でそれをやったら、もう一回トライできひんくらいにズタズタになってしまう。それはもはや誰のためにやっているのかという話になるわけで。

「ジョブ」から「ワーク」、
そして「ライフワーク」へ

「起業」って本来覚悟をして始めるものではあると思うけれど、僕は何の準備もないまま、流れで始めることになったクチです。でも、これはこれでありなんちゃうかなと思ってはいます。商売の基本って誰かに必要とされることだと思うので、「流れに乗る」ってある意味自然な始め方なのかなと。
どうしても、「起業」という言葉を使うと難易度のハードルあがるけれど、しれっと始めて、違うと思ったら辞めて、またやってみる。それでもいいと思うんですよね。それを「失敗」という人もいるかもしれないけれど、自分の中で成功やと思うまで続けていたら結果それは「成功」なわけで。
現在「Chomsky」の店舗営業は週4日、それぞれ4時間だけなんです。もちろん焙煎をしたり、見えない部分の労働時間は別にあるわけですが、珈琲店としては結構驚かれる営業時間の短さだと思います。うちは共働きで子育てしていることもあり、自分のリソースをすべて仕事につぎ込むと生活が破綻してしまう。だからこそ、「店」の方を組み替えて「家」もうまく回るようにしていきたい。

僕は「ジョブ」を「ワーク」に変換して、さらにはそれをブラシュアップして「ライフワーク」にしていきたいと思っているんです。そしたら「仕事」がすでに「生活」の中に組み込まれているから自動的に回るようになるし、ストレスも減る。仕事と生活って、本来切り離して考えるものではないようにこの頃感じています。
「起業する」ということは、つまるところ「自分のご機嫌は自分でとる」ということなんじゃないかと僕は思ってます。極論を言えば「明日世界が終わる」となったときに「今日の仕事をやっていますか?」というとことか。ちなみに僕は世界が終わる日も、コーヒー屋をしていたいと思う。

コーヒーの好みとかもそうなんですけど、「苦手なもの」はスッと答えられるけれど、「好きなもの」となると言い淀む人が結構多いんです。起業って、それをつくる第一歩なんじゃないかなとも思います。
死ぬ間際にも今の仕事をしていたいと思う人は別にわざわざ起業しなくてもいいけれど、そうじゃないという人は、ちょっと考えてみてもいいのではないでしょうか。

(取材:2021年3月 編集:柳田和佳奈)

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