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2022.03/29 起業家紹介

起業家紹介_vol.14 森﨑和宏

“リアル”に誠実に、現場で起こる瞬間を写したい

CENDO 森﨑和宏

1986年金沢市出身。短期大学を卒業後、地元の制作会社に入社。6年間の経験を積んで012年に独立し、フリーランスの映像作家・撮影監督として活動。2020年、「株式会社CENDO」代表取締役に就任。監督、撮影、編集まで自分でこなすドキュメンタリータッチの映像を得意とし、企業のプロモーション映像やミュージックビデオ、メイキング映像など幅広く手掛けるほか、撮影監督としても様々な作品に参加している。金沢科学技術大学校の非常勤講師も務める。

短大で出会った、先生らしくない大人の存在

学生時代は特に熱中しているものがなく、普通高校を卒業して、やりたいことが見つからないまま何となく短期大学に進学しました。僕はもともと勉強がすごく苦手で友人とテストの点数の低さで競い合うほど成績が悪かったのですが、ちょうど世の中は「パソコンが使えないと就職できない」と言われ始めた頃だったので、ビジネス系の学科に入ったんです。学校ではとにかく就職に有利になるようにと、WordやExcel、ビジネス文書、簿記などの検定をたくさん受けました。短大では早い人で1年生の中頃から就職活動を始めることが多いなか、僕は全然やる気が出なくて就職指導室には一度も行かないような学生でした。

転機となったのは体育祭や学園祭など、学生行事の企画運営を中心に様々な活動を行う「学友会」に入ったことです。高校生までは周りに流されやすくて生徒会に興味を持つようなタイプではありませんでしたが、同じクラスの友人の誘いもあり、「今までとは少し違うことに挑戦してみよう」と思ったんです。

学友会には新井先生と廣瀬先生という担当がいて、その2人との出会いは僕にとってかなり大きな出来事でした。2人とも学内では若手で、他の先生たちと比べて自由なタイプというか、新井先生は美術学科の教員で研究室には自身の作品やアーティストのポスター、漫画などがたくさん置いてあったり、廣瀬先生はダンス部の顧問で髪の毛は染めているしストリートファッションをしていて見た目が明らかに先生っぽくなかったんです(笑)。2人ともちょうど今の僕くらいの年齢だったのですが、年下の僕とも対等に付き合ってくれて、僕が学友会の活動を頑張っていたこともあり仲良くなったんです。よく研究室に遊びに行ってずっと駄弁ったりして、学生時代はその2人と過ごした時間が一番長かったと思います。

軽い気持ちで声を掛けた「お手伝い」がきっかけで、映像の道へ

1年生の冬のある日、いつものように新井先生の研究室へ遊びに行ったら、パソコンに向かって一生懸命作業をしていたので「何しているんですか?」って聞いたんです。そしたら、ダンス部が毎年行う自主公演のオープニングの映像や曲と曲の間に挟む映像を作っているとのこと。なんだか大変そうだったので、軽い気持ちで「手伝いましょうか?」と声を掛けたのですが、本番は丸2日後の日曜の夜で(笑)。映像制作は右も左も分かりませんでしたが、言われた通りに作業をしてほとんど徹夜で制作に励み、何とか当日を迎えました。

当日、リハーサルでは上手くいかなかったのですが、本番では奇跡的にちゃんと映像が流れたんです。曲が流れ始めるのと同時に幕が上がったときに、達成感や感動など色々な気持ちが込み上げてきて、思わず泣きそうになりました。このときの経験がとにかく強烈で、これまで特にやりたいこともなかったけれど、こういう仕事ができたら面白いんじゃないかと映像を意識するようになりました。ダンス部の人たちから「映像良かったよ」って声を掛けられたり感謝してもらったり、自分が作ったもので誰が喜んでくれるという経験をしたのも初めてのことでした。

将来進みたい道は見えてきたけれど、当然、ビジネス系の学科に映像制作会社の求人はありません。学友会の活動は引き続き一生懸命取り組んで副会長を務めたり、ダンス部の自主公演の映像制作を手伝ったりしていましたが、就職活動には全く身が入りませんでした。そんななか、たまたま「石川テレビ企業株式会社」のディレクター職を採用するため学内で数人募るという話があり、美術学科の学生がほとんどのなか、廣瀬先生から「興味があるなら受けてみたら」と声を掛けられて、面接を受けるチャンスをゲットしたんです。面接で新井先生と一緒に作った映像を提出したところ、何人か受けたなかで僕が内定をいただけることになりました。

今でも新井先生と廣瀬先生には感謝しています。思い返せば「就活しなよ」とも言われなかったですね。先生たちは自分の好きなことに真っ直ぐで、そんな姿を見ながら僕も「こんな感じでもいいのかな」って思えたんです。好きなことに真っ直ぐな2人に、大いに影響を受けました。

20歳、ディレクターから始まった制作会社時代

映像系はアシスタントからキャリアを積むのが一般的ですが、入社後、制作部のディレクターとしていきなり番組を一本担当することになりました。番組は16分間くらいの尺で、ロケに同行して最初の1、2回お手本を見た後に「次からは君がやってね」って(笑)。人前で喋れるタイプでもなかったので、現場で大きな声を出してスタッフに指示をするのも恥ずかしくて、リポーターに「全然聞こえないよ!」とか「どうしたいの!」と怒られることもあり大変でした。1年目は週2回ロケをして、物撮りして編集して、必死というよりも言われるがままとにかくやってみるうちに、あっという間に時間が過ぎていきました。

2年目以降は市や県の広報番組を担当しながら、アニメーションを作るのが好きだったので、番組のオープニングやコマーシャルの制作を積極的に引き受けるようにしていました。今では自分で撮影も編集も手掛けていますが、この道に入ったきっかけがダンス部の映像だったので、編集室にこもって一人黙々と作業をするのが好きだったんです。当時引き受けていたアニメーションの仕事は比較的自由度も高く、小さな仕事でも気合を入れて頑張って作っていました。

身近な外の世界を知り、独立を決意

入社して3年が経つ頃には、だんだん仕事に慣れ余裕もできて、自分なりの表現やこだわりを出すべく意識して励んでいました。けれど「制作費があまり高くないから、そこまで頑張らなくても」といったことを言われることも増えてきて、どこか物足りなさを感じ始めていたんです。当時はYouTubeやVimeoといった動画共有サイトが登場してきた頃で、僕は世界中のクリエイターが作った映像を観て刺激を受けたり、また一眼レフカメラでの動画撮影が可能になったことにより、これまでやってこなかった「撮影」に興味が湧いたりしていました。そんななかで、自分が今作っている映像と世界中で作られている映像の違いに、ギャップを感じるようになっていったんです。

また、金沢市が主催するメディアアートとクリエイターの祭典「eAT金沢」に参加したことも刺激になりました。第一線で活躍している方の話は面白いし、周りの参加者も変わった仕事をしている人が多くて、「金沢でも面白いことをしている人がいるんだな」って思いましたね。身近な「外の世界」が見えたことがきっかけで、このままずっと会社員を続けているよりも独立して新しいことに挑戦してみたいと思い、2012年の春に退職しました。何となく「このまま仕事を続けていても何も変わらないのでは?」という焦りがあって。社内では一番若くて仕事もそれなりにできるようになっていたので褒められることも増えていましたが、狭い世界で評価されていることに疑問を感じたんです。

ゼロから生み出す喜びを再確認した、一つの作品

独立するのに不安はありませんでした。当時は26歳で、若いし結婚もしてないし、「なんとかなるんじゃないか?」という変な自信もあって(笑)。ただ、会社を辞めてから全く予定がなく、1週間ぐらい家から一歩も出ない日が続いたときに、ふと不安になったんです。ネットで色々調べてみると、YouTubeで観るようなクオリティの高い映像を作るなら東京へ行かないと仕事がなさそうな気がして、でも一歩を踏み出す勇気がない。悩んで「eAT金沢」で出会った起業家でクリエイターの宮田人司さんに相談しに行ったところ「東京へ行くのもいいけれど、自分の作品と呼べるようなものはあるのか」と聞かれました。改めて振り返ると、僕には会社員時代に手掛けた作品はいくつかありましたが、「自分の作品」と呼べるものが無かった。すると宮田さんが酒造メーカー「福光屋」の新商品「酒炭酸」を6本持ってきて、「これでプロモーション映像を何か作ってみて」って言われたんです。
突然の話でしたが、2日後にアイディアを2つ持って宮田さんへ提案をしに行きました。一つは鶴仙渓でのロケ撮影、もう一つは炭酸水を使ったスタジオ撮影の2パターンです。スタジオ撮影には苦労しました。「酒炭酸」を炭酸水の中に沈めて泡の“ブクブク感”を撮りたいと思ったのですが、水槽を買ったはいいものの、18リットル分の炭酸水をどうやって用意するのか?と(笑)。ホームセンターで道具を揃えて自宅の風呂場で一人試行錯誤しているときに、ふと短大時代の、先生と一緒にあれこれ試しながら映像を作ったことを思い出し、ゼロから何かを生み出す楽しさを改めて実感しました。

編集作業が終わってようやく完成した頃、宮田さんが福光屋の代表取締役社長・福光松太郎さんを連れてきて、「どんな感じか見せてほしい」とのこと。出来上がった作品を観てもらったところ「良い感じだね」と言われて、そのまま「酒炭酸」のサイトにアップしていただきました。その後、宮田さんから「東京へ行くのもいいけど、新幹線も2年後に開業するし、石川にも結構面白い仕事があるから、一、二年くらいこっちで頑張ってみたら?」と言われ、こっちで頑張ってみようかなと。その後、宮田さんの事務所を間借りしてフリーとして活動を始めることになります。

何気ない風景の、美しい瞬間をとらえる

カメラを買ったのは、会社を辞める直前でした。会社員時代はフリーのカメラマンに撮影をお願いしていたので、自分で撮れるようになったのは大きかったですね。「綺麗に撮る」ということを強く意識するようになったのは独立した翌年、2013年に撮影で参加した「Good Morning ISHIKAWA」という作品がきっかけです。

新幹線開業を控えた石川県のPRとして真冬の石川のさまざまな場所で美しい夜明けを撮るという企画で、東京の「DRAWING AND MANUAL」で監督兼撮影を行う小原さんと僕の2人で、それぞれ一眼レフと三脚を一台ずつ抱えて県内各地を巡りひたすら「美しい夜明け」を撮影するというスタイルをとりました。なのでロケ地が決まっていなければ、コンテもない。主要観光地に偏ることなく何気ない風景のなかにある日常の朝を撮るため、朝4時頃に白峰に集合して、辺りは真っ暗なので構図の決めようもないのですが、「このあたりから日が登るんじゃないか」って言いながらカメラを構えてマイナス5度のなか日の出を1時間待つという(笑)。そんな単純な作業を、輪島から加賀まで県内各地で繰り返し行いました。
一応僕も撮影経験はありましたがまだまだ勉強中だし、東京の会社からやってきた経験豊富な人と一緒に仕事するということでビビりながら撮影していました。完成した映像を観たときには、苦労した分込み上げてくるものがありましたね。この作品ではいろんな人が登場していますが、学生も観光客もたまたまそこに居合わせた人たちで、ほぼ仕込み無しなんです。作品の公開後、海外で多くの人から反応を得ることができ、「このスタイル、なんか好きだな」と思って、構図の勉強や、実際に起こっていることをドキュメントタッチで綺麗に撮る練習を始めました。このときの経験が現在につながっています。

現場で起こることを大切にしたい

2022年で、独立してちょうど10年になります。人との繋がりで仕事の依頼を直接いただくことが増えていき、気づけば完全に独り立ちしていました。基本的には監督、撮影、編集を一手に引き受けていますが、案件によっては監督や撮影だけで入ることもあります。心がけているのは、映像で「嘘をつかない」こと。もちろん状況(シーン)をセッティングすることはありますが、できるだけ被写体の自然な笑顔や表情を撮りたいので、「笑ってください」とか「楽しそうに」といった指示はあまり出さないようにしています。

案件によっては僕がインタビューをしながら撮影をすることもありますが、「嘘をつかない」ことと同様、作り手にとって「都合がいいようにしない」ことは大切だと思っています。はじめから回答を想定する予定調和の方が作り手にとってはラクかも知れないけれど、それだとリアルは伝わらない。本人のありのままの言葉を引き出したいので、なるべく必要以上の演出はせず、現場に委ねるようにしています。
この仕事の好きなところですか?やっぱり、人に喜んでもらえることですね。飲食店の店主と気持ちは似ているのかな。誰かに褒められたり作ったものを喜んでもらえたりすることが、単純だけどすごく嬉しいんです。仕事ではクライアントと直接お話することが多いので、納品したときに満足していただけたり、映像を観た周りの人から「良かったよ」って感想をもらったりすることが原動力になっています。

制作は苦しいですよ(笑)。僕の場合、ドキュメントタッチのスタイルで制作するときは構成も撮影内容も決まっていないので、撮影量も多くなりますし、それに伴って編集作業も膨大になります。それでも、事前に撮る絵を決めてかかるとそればかりに集中してしまうので好きじゃなくて。よりリアルな方が人に伝わると思っているので、「もっといい絵が現場にあるんじゃないか」とは、常に考えています。
いくら将来のことを考えても想像した通りになることは少ないですし、かえって不安になることの方が多いので、会社を辞めるときも今もあまり考えすぎないようにはしています。学生の頃には将来自分が映像を作っているなんて思いもしなかったし、20代で独立して映像監督として働いているとは想像もしていなかった。学友会に入っていなければ尊敬する先生2人に出会っていなかったし、新井先生に「手伝いましょうか?」って声を掛けなければ映像を作ることもなかったので、人生、何がきっかけになるか分からないとは実感として思っています。制作で「決め過ぎない」スタイルになっているのも、出たとこ勝負じゃないですけど、何とかなるだろうと(笑)。

初めて作った映像が映し出されたときの感動は今でも鮮明に思い出します。忘れられないんですよね、まだ幕も開いてないのに、感動して鳥肌が立って泣き出しそうになった自分のことを。映像は正解がないので、料理と似ているのかも知れません。メニューがない和食店って、お客さんの表情を見たり、何気ない会話のなかからヒントを得てその人が気に入りそうな味付けにしたりと、その場で献立を作るじゃないですか。「何を出しても美味しい」って言ってもらえるのが喜びなのだと思いますけど、僕の仕事はそれに近いのかなって気がしています。

映像は観た人の心に刺さらないと意味がない。観た人全員が感動するのは不可能だけど、届けたい人の心を動かす。そんなことができるような作品を、これからも作っていきたいと思っています。
(取材:2022年1月 編集:井上奈那)

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