造り手のこだわりや思いが詰まった
ナチュラルワインを多くの消費者のもとに。
# 29
荒木佐保里
SAORI ARAKI
ワインショップ経営
Wineshop Brücke
Profile
1982年生まれ、北海道出身。東京の大学在学中に1年間のドイツ留学を経験。’06年、東京の洋酒輸入元の企業に入社し、営業職に携わる。’13年、金沢に移住。翌年、夫が和食店『酒屋 彌三郎』を開店し、ワインセレクトやサービスを担当し、第2子出産後は、育休を経て、経理など裏方でサポートする。’19年4月、『Wineshop Brücke(ワインショップ ブリュッケ)』をオープン。ナチュラルワインをはじめ、ジュース、調味料、コーヒー豆などの小売販売のほか、立ち飲みサービスも行う(現在休止中)。同年7月、隣にオープンした夫の店舗『iomare(イオマレ)』でも、同店のナチュラルワインを提供している。JSA認定ソムリエ。2児の母。
起業までのいきさつは?
大学生時代、ドイツ語学科に入ったものの、飲食店のアルバイトにハマってしまい、食事を楽しむ空間と、そこになくてはならないお酒に特に興味を持ちました。勉強の方は進級ギリギリでしたが、ドイツに行ってそこの文化に直に触れてみたいという好奇心から、1年間のドイツ留学へ。ドイツは学生への支援が整っていて、州内の鈍行列車は乗り放題。だから週末など時間ができたら州内を見て回りましたし、学校が終わったら当たり前のようにカフェに集いました。そして、皆でご飯を食べるとなると裸のボトルを持ち合ってみんなでワイワイ楽しんでいるような、ワインとともにある日常の暮らしと文化に心惹かれました。少し足を伸ばせばワインの産地があちこちにあって、ブドウ畑が広がっていました。実を付ける前の、一面に黄色い花が咲き誇る葡萄畑を目にした時、その圧倒的な美しさに感動しました。それが、ワインに携わっていきたい! と思った瞬間でした。
卒業後はワインを始め、シャンパン、ウイスキーなど洋酒全般を取り扱う輸入元の会社に就職して、営業職を担当しました。ちょっと背伸びするようなワインのとっておき感もいいけど、日常に寄り添い身近に楽しんでもらえるものになればと仕事に励んでいました。
結婚をし、1人目の出産を経て育児休暇が終わり、どうしても夜と切り離せないお酒の仕事と育児の生活との折り合いをつけるのが難しく、営業の職務をバリバリとはいかない状況に。そこで専門性を高めるべく、ワインアドバイザーの資格をとろうと決意しました。仕事においてもワインの専門知識を持つことは役に立つはずだと考え、すき間の時間で猛勉強し、取得しました。
夫は東京に飲食業の修業に出て10年経った頃、いよいよ独立して自分の店を開こうと、東京か夫の故郷の金沢かの選択を考えました。このまま東京にいても、子育てしながらお酒の仕事はやれる幅が限られると思いました。というのも、1人目の出産後は頼れる実家が夫婦共に離れており、協力を得にくく大変だったからです。子どもを自転車に乗せて保育園に預けた後、満員電車に乗って1時間かけて会社に向かって時短勤務。夫は有休がなく、何かあれば私が会社を休むしかないというプレッシャーも辛かった。そんな生活に限界を感じていました。
私は札幌で生まれましたが、すぐに親の転勤にともない、名古屋、兵庫、札幌と4、5年周期で転々とした後、東京に。多感な時に東京で過ごせたことは素晴らしい財産ですが、例えば小学生だった札幌時代、野山を駆け回ってのびのびと過ごした楽しい記憶が残っていたり、地方都市がすごく好きなんです。
夫の実家のある金沢へはこれまで何度も帰省していました。コンパクトなまちながら、海も山も近くて、食べるものがおいしい、それに古いものと新しいものがうまく融合されているところが好きで、暮らせるイメージが湧いたので、どちらかというと夫より私の方が金沢への移住に前向きだったんです。それで7年前に金沢に移住して、2014年に本多町に「酒屋 彌三郎」を開店させました。日本酒はもちろん、ワインも楽しめるお店にしようと、私もお店に立ってお客様におすすめのグラスワインとそれに合う料理の提案などをしていました。すでにお腹に2人目がいたので、それも数ヶ月間だけで、出産後は基本的には経理などの裏方の仕事をしていました。
数年経って、下の子が成長して少し手が離れてくるにつれ、ワインの仕事がしたいという思いがふつふつと湧いてきました。2人の子どもがいるので、日中メインの仕事をと考えたら、ワインの小売店ならできるかもしれないと思い至り、さっそく物件探しに。理想は、店舗に立ち飲みスペースを併設して、ワインを楽しんでもらえる空間でした。住宅だった建物の梁や壁など、残せるところは残して改装しました。2階には、インポーターや造り手が金沢に来てくださった時に集える会ができるようなスペースも設けました。去年はイタリアの造り手が来日してくださり、2階で試飲会を行うことができましたし、インポーターの方がいろんなワインを持ってきてくださり、沢山の種類のワインを隣の「イオマレ」の料理に合わせて着席スタイルで楽しんでいただく会を開けたのは最高の時間でした。せせらぎマーケットなどのイベントにも参加して、色んなワインを気軽に楽しんでもらえるようグラスワインをご提供しました。
2人の子どもたちも家が自営業であることは自然に捉えていて、私の仕事を家族が後押ししてくれます。ただ、東京などで開催されるインポーターの試飲会が、仕入れを決めるのにとてもいい機会なのですが、日帰り出張もなかなか難しく参加できないので、あと数年はチャンスを待たないといけないのが悩ましいところです。
ナチュラルワインの魅力とは?
ナチュラルワインは個人や家族経営による小規模生産者がほとんどで、栽培から醸造までブドウの力を引き立てるよう寄り添ってその土地や風土を表現しているワインです。手塩にかけてつくったワインはエチケット(ラベル)もかなり自由なんです。家族が描いていたり、家の裏に住んでいるアーティストが描いていたり、カラフルで惹かれますよね。
ナチュラルワインは、造り手の人生そのものが詰まった飲み物なので、一度好きになった造り手を追い続けるといった、造り手と自然に紐づいていくところも大きな魅力です。出来のいい年か悪い年かにかかわらず、店では毎年仕入れ続けて、毎年飲み続けるうちに、お客様もファンになってくれるのでいい循環が生まれます。ワインは農産物なので毎年変化があるのは自然なことで、それを楽しめる方が『ブリュッケ』に通ってくださるお客様に多いんです。新しい造り手のワインであっても、インポーターとの信頼関係があるからこそ、薦めてくださるもの、扱っているものは間違いないと仕入れられる。ナチュラルワインは、人とのつながりからなる、すべて顔が見える、気持ちのよい世界なのです。
2018年には、両親に子どもたちを預けることができ、夫婦で1週間かけてフランスやスペインの造り手を回る機会がありました。畑を見ると、造り手への理解や思いがいっそう深まります。本当は足繁く通いたいんですが、いつかまた各地の醸造所や造り手たちのところを巡りたいですね。
起業で大変だったことは?
「酒屋 彌三郎」の立ち上げも経験していたので、開業準備はそれほど大変ではなかったんですが、なによりも物件との出合いまでに苦労しました。希望の条件は、まちなかにあって、車が停めやすいようコインパーキングが近くにあること、夫の2号店も考えていたので横並びで開けることなど。町家が選択肢のひとつにあって、いくつか見て回っていましたが、ハコが大き過ぎて1階と2階の動線がネックとなり、なかなかトータルでいいと思えるところがなくて…。すでに1年ほど探していたので、もう見つけられないかもしれないと思うまでになってしまいました。走り始めたいのに何もできない、かと言って手あたり次第も嫌で。結局、2店舗並んでの開業は諦めることにして、まずは自分の店舗を先行して探すことにしたら、ここが見つかった。工事が始まる頃、思いがけず横の物件も空くとの知らせを受けて、当初の願いが叶えることができたんです。物件が決まってからはわりとスムーズに進みました。ただ、引き渡しからオープンまで間がなかったため、子育てしながら空いた時間に準備するという時間のやりくりに苦労しました。特に、ワインのプライスカードはすべて手書きしたので大変でしたね。オープン当日の朝になってもまだ必死に書いていましたから(笑)。
それから、前職の経験もあり、ワインの説明などは慣れているので接客は問題なかったのですが、小売店の仕組みに少し戸惑いました。仕入れ先が一元化されていないので自分が扱いたいものは一つひとつ直接コンタクトをとらなければならなかったり、発注のロットやタイミングがそれぞれ違うので在庫の管理も気を配る必要があって、慣れるまでは大変でしたね。
資金の一部として助成金・補助金についても事前に調べましたが、残念ながら条件が合わず、申請はしていません。融資を受けるにしても私個人では実績がなかったのと利益率が高くない酒屋という業種ゆえ、個人事業主として資金を借り入れするのは難しい状況もあり、「酒屋 彌三郎」を含む事業を法人化して、会社として日本政策金融公庫と銀行から借り入れしました。宣伝は「酒屋 彌三郎」のオープン時からそうなんですが、SNSの発信や雑誌などの取材のみ、広告は出していません。
金沢で起業する魅力は?
金沢は、公共交通機関がもっと発達していたら嬉しかったんですが、それでも車で30分もすればどこへでも行けてしまう、とても快適なまちです。開業するにあたって、役所へ相談や手続きなどに行く際にも、東京とは違って、混んでいたり、行きづらいといったストレスが全くない環境は恵まれていると思いますね。ただ、住んでみて初めて知ったんですが、北海道とはまるで違う、冬の融雪装置の道路や雷の凄さには驚かされましたけどね(笑)。
また、金沢には個人で経営されているお店が身近にたくさんあります。やりたいという気持ちがあれば、その人のこだわりや思いを形にできるまちだと思いますね。同じことを東京でやれたかと考えてみると、東京のどのまちにもきっとやりたい業態はすでに存在しているだろうから、やろうとは思わなかったんじゃないかな。私はまちなかのナチュラルワイン専門店として、お客様がワインの説明を直接聞けたり選べたりする対面販売にこだわりたかったし、立ち飲みでワインを気軽に楽しめるお店は金沢にはまだなかったので、もっと間口が広がるだろうと思いました。そういう意味では、金沢のまちにとって必要なもの、可能性がまだまだある気がしています。
小売店にとって今やインターネット通販は王道で、新型コロナの影響からさすがに私も少し揺れましたが、テイクアウトの需要が増えたことが追い風になって、自宅でワインを楽しむ人も増えました。そもそもナチュラルワインは1人で、あるいは夫婦や仲間と手がける小規模生産がほとんどで、生産数自体も多くないんです。世界的な人気も高まる中、せっかく金沢に来てくれたワインなのだから、金沢や北陸の皆さんに紹介したいし、品揃えもあくまでも地元に根差してやっていきたいですね。例えば、大都市だとどうしても流行りや旬のワインが意識されがちですが、金沢の方は皆さん先入観なくフラットな気持ちでお店に来てくださって嬉しい限りです。
これから起業する人へのアドバイスを。
融資を受ける際に事業計画書が必要となりますが、計画は真剣に取り組んだらいいと思います。具体的に決まっていなくても、お店のコンセプトやターゲット層を考えることは大事。お店の立地を含めて、何歳ぐらいの客層か、男女比といったことなどを明確にしておくことがものすごい大切です。明確であればあるほど、お店を出した時にギャップなくやれると思います。
私の場合は、生活に密着した店であってほしくて、小売店だから幅広く楽しんでいただけるかなと思い、ターゲット層は20代から60代、コア層は30代から40代としました。ワインを買うという行為がよりワクワクするようなものになるように、外観や内装の世界観も大切にしました。嬉しいのは、お客様が「今日の夕食はこれなんだけど、どれを選んだら?」とか若い方が「何人か集まってのパーティーをやるんですが、食事はこんな感じで、いいワインありますか?」と来てくださること。その日の献立や気分を伝えてくれて、いっしょに選ぶのが楽しいですね。ワインがわからなくて何を伝えたらいいかわからない方でも、こちらからちょっとずつお聞きしながらおすすめさせて頂きます。最初のワインが必ずしもその方の好みでないこともあるので、是非何度か飲んでナチュラルワインの美味しさを感じて頂けたら嬉しいです。
今後の展望は?
ワインを開ける行為はワクワク感があり、日々の食卓にワインがある暮らしはウキウキします。そんなふうに楽しんでくださる人が少しでも増えるように、今後も活動していきたいし、ずっとまちの酒屋であれるよう、地道な仕事をやっていきたいんです。たまに2階でワインを楽しむ機会をつくったり、日常の中でワインを楽しむためにちょっと立ち寄れるような場所をつくっていきたいなと思っています。また、せっかく隣同士なので「イオマレ」と連動しながら、「ブリュッケ」だけでも「イオマレ」だけでもできないこともしていきたいです。
2020.11 編集:きどたまよ 撮影:黒川博司