金沢に拠点を構え、世界を舞台に活躍。
自分らしい働き方で仕事も育児も叶える。
# 9
林 雅子
MASAKO HAYASHI
美容師
soixante-deux
Profile
1979年、金沢市生まれ。金沢市内の美容室で7年間勤めたのち渡仏。アシスタントを経て、雑誌、広告のほか、パリ・コレクションのヘアアーティストとして活躍する。2013年より1年間、ニューヨークでヘアアーティストとして活動。帰郷して、’14年2月、完全予約制のサロン『soixante-deux(スワソン・ドゥ)』をオープン。1対1の丁寧な接客でヘアメイクを手がける。その傍ら、現在も年2回、パリ・コレに参加。現在1児の母でもある。
起業までのいきさつは?
東京の美容学校を卒業して、金沢市の美容室で勤めていたんですが、一緒だった同期の子たちが東京で華々しく活躍している姿に焦りや悔しさを感じていました。27歳の頃、これからメイクアップアーティストとして生きていこうと決心し、今さら東京に行っても仕方ないと思い、パリへ渡ってメイクの専門学校も卒業しました。海外では通常ヘアとメイクの分業制になっているんですが、私は元々美容師の経験があるからか、来るのはメイクではなく、ヘアの仕事ばかりでしたね。そのうちパリ・コレに携わる方との出会いにも恵まれ、3年間ヘアの仕事を続けました。本当はまだずっとパリにいたかったけど、その頃サルコジ大統領からオランド大統領に代わるタイミングだったので、ビザ発給が一番難しい時期と重なってしまい、ビザの再申請が通らなかった。そのせいで帰国した友人も多かったんですが、私はまだ海外で活動したかったので、ニューヨークに向かい、トップヘアアーティストのアシスタントとして働きました。
そんな中、私は子宮の病気になり、ニューヨークの病院の先生から「もしガンだったら全摘出」とまで言われて…。それまで私は子どもを産むことなどまったく頭になかったし、ただ自分がスキルアップすることしか考えていなかった。女として生まれ、子どもが産めなくなるかもしれない状況に置かれて初めて、将来のことを真剣に考えるようになり、滞在の期限を1年と決めました。身体に何かを抱えながら海外で生活するのは精神的にとても辛かったし、病気を言い訳にしながらいる自分自身にも悩みました。ある時、いっしょに働いていた人から、その方は今もニューヨークで活躍しているトップヘアアーティストで、大阪にも2店舗出していますが、「今の時代、必ずしも現地にいなくても、地方で活動しつつ、時々海外で仕事するという働き方の選択肢もある」という助言をいただいたんです。その言葉に、「こういうのもありなんだ」と目の前がぱっと開けたような気持ちになりました。そこで私は金沢に戻り、ベースづくりとしてお店を出し、金沢から年に2回パリのコレクションに参加するというスタイルをとりました。ヘアメイクの仕事はどうしても収入が不安定なので、サロンを開くことで安定収入が確保できるからです。病気になって私は、この世の終わりのような気分に陥っていたけど、今となってはそれが起業のきっかけになったわけです。
パリでの仕事は、みんな仲良く楽しく仕事をするというスタイルだったんですが、ニューヨークはまさに競争の世界。頑張ればどんどんキャリアアップできるけど、実力がなければ誰もしゃべりかけてもくれなくなる。何か仕事をしていない限り、何も広がらないんです。そういうニューヨークでの仕事の厳しさが、今の仕事にもつながっています。ニューヨークはもう決して住みたいところではないけど(笑)、雲の上の存在だと思っていた人と出会えて一緒に仕事ができた、本当にいい1年でした。
金沢のこんな田舎から、年2回パリ・コレの仕事に参加していますが、それにはものすごいエネルギーがいるんです。コレクションのバックステージは、まさに判断力とスピードとの闘いで、チームワークがなにより重要。しかもチームの誰もが世界の第一線で活躍している子ばかり。ものすごく頑張らないといけないけど、情報を交換したり、トレンドや新しいテクニックを勉強したりできる。そんな流行の最先端を実際に見て触れて、サロンのお客様に伝えていけることは、他とは違う、自分ならではの強みになっているはずなので、これからも続けていきたいです。
起業で大変だったことは?
一番は資金面でしたね。帰国してすぐの開業ゆえ、自己資金がほぼない状態だったので、銀行に融資の相談に行ったら、申し込みのためには事業計画書のほかに、顧客リストを提出してと言われました。顧客リストなんて、しばらく海外にいたらあるわけないのに…。海外での活動の話も銀行員にとってはピンとこないようでした。「美容室は働いて顧客からの利益を出すから成功じゃないんですか?」なんて言われて、全然話にならなかった。希望額より150万円も少ない融資額が提示されて諦めかけていたところ、シャンプー台を扱う美容機器メーカーの方から、銀行との融資の交渉を助けていただき、希望額の融資が受けられたんです。
それから 、金沢市役所や石川県地場産業振興センターで、自分の受けられる融資や助成金はないかを相談しに行きました。国の助成金は申し込み日のタイミングが合わず叶わなかったんですが、金沢市では、商店街で起業を志す若手起業家向けの「起業チャレンジ若者支援事業」がスタートすると伺い、申請しました。銀行への提出用に作成した事業計画書を活用しつつ、ほかにもいくつかの書類を提出しました。書類・プレゼン審査の結果、幸いにも第1号の助成金に採択され、2年間で50万円の奨励金や111万円の家賃の助成を受けることができてとても助かりましたね。
物件探しにも苦労しました。結婚して子どもができた将来的な暮らしを考えると、住居と店舗が同じであることが第一条件と決めて探しましたが、自分の思う広さや雰囲気に当てはまる物件は、なかなか見つからなかったです。この場所はインターネットで見つけた物件で、見学してすぐに決めました。元々おばあさんが経営する美容院だった建物だそうですが、配管が整備されておらず、工事費が予想以上にかかってしまいました。
お店は、プライベートサロンの雰囲気を出したくて、1対1の完全予約制、1人のお客様だけに時間を使うスタイルにこだわりました。宣伝を全くしなかったのもあって、最初は暇で「あの店、いつも閉まっている」なんて言われていたことも。そのうちに、だんだんと口コミや紹介でお客様が増えていき、今では90%がご紹介のお客様。ありがたいことに毎日予約が結構入っています。
子育てと仕事をどう両立されていますか?
出産後1ヶ月だけお店を完全に閉めました。せっかくお客様がついてくれた状態でお店を休むのは正直不安でしたが、もしお客様が他のお店に行って戻ってこなくてもしょうがないと思い切りました。でも再開したら、ほとんどのお客様がまた来店してくれて嬉しかったです。産後2ヶ月目で1日1人のペースから始めて、しばらくは最大で3人が精いっぱい。スタッフを1人でも雇って店を回転させた方がいいのか、自分の時間を優先する方でいくのか、とても悩みました。お店と育児を両立させるのは想像以上に大変で…。産む前は、すぐに保育園に預けて働こうと思っていたけど、産んでみると、やっぱり子どもと一緒にいたいという気持ちも強くなりました。
今は、朝私が子どもを保育園に預けて、夫が夕方迎えに行ってくれています。お店の営業時間も何時までときっちり決めず、早い時は16時で閉めるし、21時までやる日もある。そこは自営業だから自由にできる部分ですね。ただ、夕方、仕事終わりのお客様の予約と、子どものご飯やお風呂、ぐずりの時間が重なってしまうのが悩ましい。それでも授乳時期には、スタイリングの途中でもお客様は「行ってきていいよ」と言ってくださったり、子どもの発熱や入院の時に急に休んでしまう状況も理解してくださって、予約の時間にも幅を持たせてくれたり。お客様にも大いに助けられ支えられています。1対1のサロンだからでしょうか、お客様との深い信頼関係が築けていることに、心から嬉しく思いますね。夫や互いの両親をはじめ、周りの人の協力がないと成り立たないんですが、自分に仕事があるということはすごく幸せなことだと実感しています。
それから、妊娠5ヶ月の頃にパリ・コレの仕事に行ったときに、コレクションチームメンバーから「30代に入って、仕事の傍ら結婚や出産をどうしようか今後の自分の人生について悩んでいたけど、雅子さんの仕事と育児の両立を実現しようとする姿にとても勇気をもらいました。私も絶対、仕事を続けながら子ども産みます」と言われたんですね。その後も6ヶ月になった子どもを連れてパリへ行きました。仕事中は夫が子どもを見てくれ、仕事もセーブしながらも、コレクションの仕事ができました。もちろん子どもがいながら海外で仕事をするのはとても大変なことですが、こんな自分の奮闘する姿をあえて見せていくことも、次の子たちの新たな道を開いていくためにはいいことなのかなと思いますね。
一番の悩みは、子育て中は生活が一変してしまい、今までできたこともできなくなることで、考え方が保守的になってしまうことでしょうか。そうならないように、いろんな人に会ったり、パリに行ったり、つねに刺激のある環境に身を置くことを心がけています。
これから起業する人へアドバイスを。
自営業には、一般の会社みたいに産休制度があるわけではありません。1ヶ月お店を休めば、当然その分無収入になってしまう。もっと貯蓄をしておけばよかったとひしひしと感じたので、貯蓄は必ずしておいた方がいいです。
実は、出産前に無理をして手首が全然動かなくなってしまい、カットも泣きながらやる日もありました。そんな経験もあって、自分の手を使って稼ぐような立場の人にとっては、身体のメンテナンスは本当に大切です。自分に何かあっても、家賃や光熱費などはかかってくるものだし、支障をきたしてしまう場合も。それに貯蓄があった方が精神的にも安定しますしね。私の場合、女一人でやっているから余計にそう思うのかもしれませんけど。
今後の展望は?
近い将来としては、金沢という地方から、世界のパリ・コレに行く自分の姿を、若い美容師たちにもっと伝えられたらと考えます。というのも、美容学校の講師をしたこともあって、若い子たちは美容師の仕事を、手に職を得てお金を稼ぐためだけの目的や手段としか考えていないような印象を受けていて、なんだかかなしい。もちろん現実的な部分は大事だけど、美容師はクリエイティブでやりがいのある、とっても素敵な職業だし、もっと夢のある仕事なんだということを、自分の活動によって伝えていきたいですね。
先の将来としては、やっぱりパリで自分のサロンを開きたい夢があります。日本の優れた技術のひとつでもある「癒し」を打ち出した、ヘッドスパをメインにしたサロンを開こうと思っています。
編集:きど たまよ 撮影:黒川 博司