はたらこう課

Interview

リレーインタビュー

まだ誰もやらないことを事業化して
次世代が面白いと思える金沢にしたい。

# 37

金崎 一樹

KAZUKI KANEZAKI

経営者

合同会社 唄の音

Profile

1986年、金沢市生まれ。インテリアデザインの専門学校を卒業後、和食料理店に就職。退職後、バー兼イベントスペースで6年間勤務し、調理担当と店長業を経験。1年間の準備期間を経て2014年に妻の金崎有美がスタイリストを務める美容室「Salon de OXY(サロンドオクシー)」を開業。’15年、美容室横に「esnica(エスニカ)」を開店し、3年後ダイニングバーからカフェに転換。’18年に写真・動画の撮影事業「STUDIO  9ue (スタジオキュー)」をスタート。’21年10月からセントラルキッチンを構え、製造体制を準備中。夜限定のスパイスカレー店「宇宙伽哩(コスモカレー)」やプリンの自動販売機設置など、世の中のトレンドを先駆けた事業を多角的に展開する。

起業までのいきさつは?

結婚がきっかけでしたね。美容師としてサロンで働いていた嫁さんが独立に向けて退職しました。僕の方もイベントスペースを備えたバーでパーティー料理の調理などを担当していましたが、それまでの組織が解体されたのを機に退職を決めました。まさにこれから起業しようというのに、同じタイミングで夫婦二人とも無職の状態となり、早急に自分の店をつくらなくてはいけない状況になってしまいました。

 

知り合いの不動産屋に物件を探してもらうも、なかなか程よい場所が見つからなくて。そんな時、実家の敷地で駐車場として貸していたスペースが契約終了となり空いたため、そこに住宅兼店舗を構えることに。本当は希望のエリアはあったんですが、少しでも早くスタートさせる必要があり、なによりも家賃がかからないメリットが一番大きかった。住居兼店舗が完成するまでの1年ほどは僕の実家に二人で居候させてもらって嫁さんは専業主婦に、僕は片町の飲食店の立ち上げなど、色々なお手伝いをさせていただきながらつなぎました。

 

美容室を先行スタートさせたのは、ある程度の実績がないとそれ以上の資金が借りられなかったから。実は僕はインテリアデザインの専門学校を卒業しているので設計図が書けますし、義兄は家具屋だから建具をつくることができました。嫁さんの方は椅子と鏡があればあとはあまりこだわらないので、僕が代わりに動線を考えて図面を引いて、設計士には設計図の清書と耐震計算だけをお願いしました。というのも、既製品を使うのはあまり好きじゃなくて、基本的には何でも自力でつくり上げたいからです。

 

美容室のオープン直後は、知り合いのお客様が大勢来てくれて順調なスタートを切りました。だけど数ヶ月経つと次第に店が静かになってしまい、フリーペーパーに広告を出すことに。白をバックにかわいいモデルの仕上がりスタイルを撮影した写真が多く並ぶ誌面の中で、うちの店はたまたまですが夜に撮影した暖色系のお店の写真を載せました。それが読者の目に留まったのか、すぐに多くの来店客に恵まれました。どう見せたら効果的なのかという意識の大切さを知るいい機会でしたね。

 

美容室はそのまま順調に売上も伸ばし、1年遅れで隣に飲食店をオープンさせることができました。片町の飲食店での経験がすべての僕の頭の中にはお酒のシーンしかなくて、最初の3年ほどはダイニングバーとして営業していました。夜だけの営業の予定でしたが、隣の美容室にドリンクを提供できたらと、ランチ営業と夜の営業のスタイルを続けていくと体力的にきつくなって。バーとして使える店が近隣にないので客層が固定されてしまう、ロスが多くなるといった悩みも生じてきました。スタッフの移り変わりと僕たちに子どもができたタイミングがちょうど重なったことで、思い切ってカフェに切り替えました。

 

カフェの宣伝は雑誌やフリーペーパーなど一通りやりましたが、あまり効果を感じられなかったので、たまにお付き合い程度に広告を出しますが、基本的には取材のみ受けています。個人的にInstagramで発信した方が反応は速いですから。逆にこちらから記事になりそうな面白い案件ができたらメディアに投げると、わりと取り上げてもらえることが多い。メディアをうまく活用することを理解するのも大切です。

起業で大変だったことは?

大変だったことは案外なかったです。一般的に起業で最も大変なのは物件の取得と融資だとされますが、僕はめちゃくちゃラッキーでした。自分の土地だったこともありますが、実はこの土地は実家の会社の担保となっていて、調べたら会社の敷地は無担保だったので担保の入れ替えをすることに。空いた土地に建てるのは美容室ということもあり融資回収の見込みがあると判断してもらえ、夫婦ともに無職状態でも住宅ローンを申し込むことができました。不安といえば、ローンの申請が通るかどうかだけで、あとはどうにでもなるかなと思っていました。僕は何でも一つも悩むことなく自分ひとりで決断してしまうので、誰にも起業の相談をしなかったです。これをつくると決めたらその道筋は走りながら何がベストか考えます。シミュレーションは得意なので、来客数がどんなふうに推移していくかを視覚化して場合によっては切り替えていく。今ここでやるべきか、ここでどう展開すべきか、時流や空気を読み取って判断しています。

 

ただ、確定申告とか経理業務といった経営の勉強について夫婦ともに一切経験がなかったので、この際きちんと学ぼうと商工会に出向いて税理士に教えてもらいました。一通り理解できるようになって、2年目まで自分で確定申告もしましたが、店の営業をしながらの経理業務が追いつかず、一年分まとめてやると手間暇がかかりその間店を閉めなきゃいけなくなるほど。今は会計士さんにおまかせしています。経理業務は会計士に丸投げする人も少なからずいますが、お金がどういう動きとなって、どのぐらいの数字になるのが妥当かといったことを本来経営者は知っておかなきゃいけない。僕はすべてを知り尽くしているとは言えませんが、少しでもかじっておかないと、と思うんです。

経営の多角化に移行したのは?

子どもが産まれたことが大きかった。夫婦二人とも自営業なので生活の保障みたいなものは何もないので何かあった時にはどうしようもない。もし誰か1人が風邪を引けばその収入がなくなってしまい大きな負担になる。それでも夫婦だけならどうにでもなりますが、子どもの将来を考えるとこのままでは立ち行かなくなると思い、経営者となるスタイルを模索し始めました。

 

写真・動画の撮影事業は、同級生がカメラマンとして勤めていた写真館の先代が亡くなり収入減となったという悩みを聞き、「だったらうちでやったら」と誘って始めました。美容室では着付けもしているので、撮影の仕事にもつなげられるし、カフェのメニュー撮影も必要だから、うってつけでした。僕も彼から手ほどきを受けてある程度撮影ができるようになりましたが、これから写真一本で食べていくのはさすがに厳しい。それよりも動画を勉強すれば役立つと考え、その翌日にはもう学校に通い始めて2ヶ月で動画編集のスキルを身につけました。事業が落ち着くまでは僕は撮影の仕事とカフェを行ったり来たりしていましたね。昔グラフィックデザインをかじった経験を活かしてIllustratorでアルバムやポスターを制作することもあり、どんなふうに見せたら誰にどう響くかをつねに考えながらやっています。現在は結婚式の仕事が多く、ほぼ彼にまかせていますが、必要に応じて僕も手伝いに行っています。美容室は結婚や出産とライフイベントに合わせて撮影の仕事につながるし、カフェも営業の場になっています。

 

店舗の外に販売機を置いたのはコロナ禍より前なんです。カフェに完全に切り替えると夜の売上が無くなるため、その対策を考えていたところ、たまたま自販機の営業が来て「これだ!」と即決購入しました。当時入ったばかりの店長はお菓子づくりが好きなのでプリンを自販機販売しようと思いつきました。ただ、自販機があまりにも高額だったので嫁さんにずいぶん怒られましたけど、その後コロナ禍となって販売機のプリンがものすごく売れて、テレビ番組や雑誌、新聞に取り上げられるまでに。「すごいことしたね」と急に周囲の見る目が変わったのにも驚きました(笑)。僕のところに自販機での商売の相談に来る人までいます。誰もやっていないから面白いと思って始めたんですが、これだけ自販機が増えたら面白くなくなるのでそろそろやめようかなと思うんですが、根強いファンが結構いるんです。

 

カフェでもカレーを提供していますが、夜限定でスパイスカレーのお店「宇宙伽哩」を開いています。もともと僕はよく自作するほどのカレー好きで、東京や大阪で流行っているスパイスカレーを出すお店が金沢には全然なかった。ないなら自分で作ろうと始めました。自分が納得したカレーができても別の新しい場所に店をつくるわけにもいかないので、カフェの夜営業で提供する二毛作スタイルにしました。今じゃ僕はほとんどお店に立つことがないから、お客さんからはよく「間借りカレー」と勘違いされています(笑)。

 

去年10月から製造事業も準備中です。カフェの売上をもっと上げようと思いつつも、席数や単価から数字を見てもカフェは回転率を上げにくい業種。今後スタッフたちの給料を上げたいとか福利厚生をなんとかしたいと思っても、売上が上がらない状態では無理。それをどうにかするのが社長の役目ということで、知恵を絞ってたどり着いたのが製造業でした。店のすぐ近くにセントラルキッチンを立ち上げて、これから本格稼働させていく予定。店で販売する焼き菓子やギフトなど以外にも、クラモト氷業とのコラボでつくるかき氷「クラモトアイス」の棒茶と玉露のシロップも開発・製造をしており、併せてその広告やInstagramなどの撮影も担当させてもらっています。美容室、カフェ、カレー、製造と一見するとバラバラな事業のようですが、それぞれが何かしらつながり合うような事業を展開させています。そうじゃないと僕はすべてを見きれませんから。

 

僕はずっと現場ありきでやってきたので、起業して自分がいつか現場から離れるなんて思ってもみませんでした。起業人は自ら表に立ち続けるか、経営者として裏方となるか、人によって意見が分かれます。僕はずっと現場でのものづくりをお客さんに届けるのがすべてだと思っていましたが、今はそこから離れることを前提に動いています。多角経営しながら店主自らが表に立つためには、自分と同等のことができる他の人材を探さないと無理。だから僕は完全に裏方に徹しています。スタッフたちをきちんと抱えようと思うと自分は前に出るべきじゃない。自分が何でも完結させることに執着し過ぎるとそのツケが回ってくるのはスタッフの方だし、自分のエゴで自分を苦しめることにもなる。もちろん気持ちの切り替えは難しかったですが、みんなに還元できる形を目指すべきだと、それまでの考えを改めました。

金沢で起業する意義は?

金沢には一人一人を見ると悪い人はいませんし、料理もどこに行ってもおいしくて、良いまちです。一方で、人間の無意識的な質というんですかね、金沢の人は新しいもの好きな面と、変に古典・伝統に縛られている面の二極を持ち合わせていてタチが悪いとも思います。それはきっとみんなが思っているけど誰も口に出さない。起業して商売する側からするとやっかいなところです。だから、戦う土壌としては、金沢はすごく大変な泥沼の地だと思っています(笑)。人口に対してお店が多いうえ、ミーハーな人間が多くて店をじっくり育てようとする人が少なすぎる。だから一時期はパッとたくさんの人が店に集まるけど、すぐに行かなくなる。そしていざ閉店となるとまた人がどっと押し寄せる。いい店を無くしているのは自分たちだとは気づいていないんです。悪いのは教育だと思います。僕らにしても、店にお客様が来てくださっているのに自分たちは自宅のご飯ばかり食べていたらおかしいでしょう。自分もいろんな店を訪ねる、その姿を子どもたちに見せていかないと。大人がお金の使い方を教えるのは大事なのかなと思います。

 

正直、県外でお店を出して同じことをしていけばもっと簡単に儲かるだろうなと頭をよぎることもある。もちろんお金は稼ぎたいですが、それよりも僕は金沢のまちを良くしたい。自分の子どもたちが大きくなって、このまちは楽しいと思ってもらえるために何かをやろうとの思いの方が強いんです。そのまちづくりのために何をすればよいのかを日々考えています。

 

金沢での商売は生半可にやっていたら潰れてしまうけど、逆にそれがわかってしまえば戦い方はある。儲かっている店を見ていると、2年ぐらいで閉めてまた新しい事業を始める県外資本が多い。そこに行くなとまでは言わないけど、金沢で生まれた大切なお店があるならそれを育てる気持ちを根付かせていかないと。中でもカフェは、多くの人にとってなくなると困る大切な場所にちがいないのに儲からない。「この店はないとダメ」と思わせる何かをつくり続けていくことが僕らの仕事という意識を持ってやっています。

これから起業する人へのアドバイスを。

一つは必ず修業した方がいいということです。僕の店ではどんなに優れた人材でも新卒者は絶対に入れないと決めています。「うちよりもっと大きくて、たくさん人のいる世界で揉まれてきて欲しい。3年以上経って世の中のことが色々わかった上で、それでもここがいいというのならもう一度来てほしい」と伝えています。人材を育てるにもコストがかかるし、その子の将来や幸せのことを考えると最初からうちの環境でやっても伸びしろはそれほど上がらず結局嫌になって辞めてしまうかもしれない。どこの会社でも壁は必ずあるし、壁が大きいほど一度乗り越えれば人間的に大きく成長できるはずです。といっても本音はスタッフが来てほしくて仕方ないんですけどね(笑)。

 

もう一つは修業先で喧嘩しないこと。飲食業やアパレル業ではオーナーと折り合いがつかなくなって独立することが結構多いです。もちろん仕事に対する気概は必要だけど、喧嘩別れしてもメリットはない。金沢は狭いまちだから応援してもらえる環境で起業した方が絶対いい。雇う側もいつか独立していくスタッフを気持ちよく送り出せるような組織づくりを考えていかないと、と感じています。

今後の展望は?

最近はコンサルティング的なことを求められることが多くなり、今は僕の持論を話して無償でアドバイスしているだけですが、それを報酬をいただける形に持っていきたい。僕はそもそも他人の情報を当てにしたくない。例えば、東京のカフェの情報が売られていても、金沢では見た目は似ていても人の流れが全然違うので当てはまらないんです。ここに住み続けているからこそ分かる戦い方を自ら持てば、それは売れるものになるはずなので、そこに向かっていきたい。

 

僕自身は県外で事業展開することはない、とは言い切れませんが、あくまでも金沢のまちを盛り上げたいという強い思いがあるので今のところ考えてはいません。ただ、それが金沢のために必要となれば即断即決でやるでしょうね。ただし、どんな事業も0点では仕事にならないし、継続させていくためには70~80点あたりを目指し、そんな事業をたくさん手がけていくことが僕の信条。本当はもっと考えることに時間を費やして集中したいところですが、現場を知らないと見えないことも多々あるので、まずは自分が現場に入って事業を立ち上げて軌道に乗ったらスタッフに任せ切るというスタイルをとっています。それはこれからも変わらず続けていきたい。

 

今一番注目しているのはNFTアート。自販機のプリンにQRコードを付けて連動させて、そのスポンサーになってくれる先を募集したい。つまり仮想現実の中で写真や画像をNFT(非代替性トークン)と紐づけられたデジタルアートとして売り出し、現実のプリンを応援している人からスポンサー料をいただく仕組みを考え中です。これまでの仮想通貨はよくわからないうちにお金が消えてしまう場合もあるけど、NFTには確実にアートが存在していてその持ち主を証明してくれる。例えば著名人が所有した絵を自分が持つことに価値が上がることも起こり得て面白くなる可能性が高いと思うんです。NFTアートで勝負したいアーティストと組み、仮想現実とリアルを結ぶことを金沢でやっている人はまだいないと思うので初の試みに挑戦したい。僕はとにかく面白いと思ったことしかやらないと決めているんです。

2022.05 編集:きどたまよ 撮影:黒川博司