はたらこう課

Interview

リレーインタビュー

誰もがやりがいを持って働ける安定職へ。
理美容業界に「革命」を起こしたい。

# 40

田中 翔人

SYOTO TANAKA

理容師・スタイリスト

Revo

Profile

1996年、河北郡津幡町生まれ。石川県理容美容専門学校を卒業後、京都のメンズサロンに入社。3年間修業し、スタイリスト兼店長を務める。金沢に戻り、兄の経営のサロンでスタイリストとして働く。退職後、シェアサロンで開業の準備をしながら4ヶ月シェアサロンで営業活動ののち、2021年6月に北安江にメンズサロン『Revo(レボ)』をオープン。’22年6月に法人化。10代~20代の若い男性をターゲットにスタイリングサービスを提供し、特にカットとパーマを得意とする。

起業までのいきさつは?

8歳上の兄も理容師なんですが、幼い頃、自分の髪を切ってもらった時にその施術している姿がすごくカッコよくて、こんな業界があるんだと知りました。自分も将来は理容師になろうと心に決めたのは中学2年生の時です。とはいえその頃は野球をしていて坊主頭だったので、周りからは「坊主が何言っとるん」なんて馬鹿にされていましたね。それでも理容師への思いは一度もブレることなく、高校卒業後は市内の理容専門学校へ進み、京都のヘアサロンに就職して3年間修業しました。地元に戻り、兄が経営するメンズサロンで一緒に仕事をさせてもらっていたんですが、仕事に対する方向性が合わずにわずか10ヶ月で辞めることに。僕はどうしても京都のサロンで学んだことを活かしたかったから経営方針を変えてほしいと訴えるも「無理」と突き返され、「じゃあ辞めるわ」となって。解決の糸口がなく突然辞めることになり、顧客のカルテも何もない状態で無職となってしまったんです。

 

その後、香林坊にフリーランスの美容師・理容師向けに席を貸してもらえるシェアサロンがあって、そこで席を1台借りて理容師の仕事を続けることに。SNSを通して自分の所在を発信していたので、これまで担当していた常連のお客様が自分のことを探して来てくださったのは有り難かったですね。それでもずっとこのままではヤバいな、と。自分の心が一番くさっていた時期なのもあって柄にもないことに、開運日にあやかろうと一粒万倍日と天赦日が重なる2021年6月15日、その日は京都の師匠の誕生日でもあったから、この日に独立しようと一念発起。師匠に自分のサロンをオープンさせる決意を伝えると「覚悟を決めてがんばれよ」と励ましてもらえました。

 

もちろん家族にも独立について相談しましたが、兄に反発するかたちでの独立だったので親は猛反対。元々、家族の力は借りたくない気持ちもあって、家族との縁を切る覚悟でやるしかない、と親の意見を聞き入れられなかった。今では家族からも応援してもらっていますし、兄とも仲がいいんですが、当時はバチバチの関係に悪化し、家族を混乱させてしまうほどに。だから起業については京都の師匠に、経営については税理士に相談していました。広告費捻出のため、補助金や助成金の申請もしましたが残念ながら何一つ通らなかったです。でも、完全に自分だけの力でやり遂げたいとの思いもあったから、今思えば逆にその方が良かったと思っています。

 

準備期間はわずか3ヶ月という中、なんとかオープンにこぎつけました。ターゲット層は10代から20代の若い男性客です。スタイリングがうまくいかないとか、毎日のセットを楽にしたい、単純にもてたい、カッコよくなりたい、髪を切るなら楽しくカッコよくといった、お客様の様々なニーズに寄り添いながら、僕らがつくる空気感でサロンの時間を楽しんでもらえたらとの気持ちで接客しています。

起業で大変だったことは?

理容師になった頃は27、8歳で独立できたらいいなと思っていたんですが、24歳で独立することになってしまって何の準備もしてなかったし、貯金する余裕もなくて。シェアサロンの初期費用すら用意できず、当時付き合っていた彼女にも、今は奥さんですが、頼み込んで資金を借りました。

 

店舗をつくるためには1千万円ぐらいの資金が必要で、日本政策金融公庫と銀行から必要な資金の融資を受けるために10分の1の預金を用意しないといけなくて。貯金ゼロの状態から3ヶ月間で100万円貯めなければならなかったので、シェアサロンの仕事をInstagramとTikTokを最大限に活用しながら集客を強化して、がむしゃらに頑張りましたね。今まで融資を受けた経験がないので、申請のための事業計画書の作成も大変でYouTubeを使って独学しましたし、あとはもうなんとか融資が通るよう、銀行の面談では自分の事業への熱い思いを必死に語りまくりました。シェアサロンのお客様にもお店をこの日に出すと伝えて、自分で逃げられない環境をつくっていましたね。融資がどうなるかもわからない状況のもとで準備を進めていたので不安でしかなかったし、怖くて眠れない日が続きました。それでも、もし融資が通らなければその時に考えればいい、と前を向きました。無事融資が通った時は奇跡のように感じました。

 

物件探しはインターネットで行い、最初は兼六園近くの予定だったんですが、ギリギリまで探して今の場所を見つけて決めました。元々は事務所として使われていた25坪の建物で、水道管も通っていないスケルトン状態だったこともあり、思いのほか改装工事に費用がかかってしまって。レジ金をつくるのも精一杯で、開店初日の僕の全財産は1万円もなかったです。フリーランスの仕事の傍ら、資金と店舗の準備を進めるという怒涛の日々を送っていたので、オープンまでの3ヶ月間の記憶が全くありません(笑)。

 

開店までの準備が大変だった分、オープン後はわりと順調に進みました。集客はシェアサロンの時のお客様が引き続き来てくださいましたし、SNSやお客様の紹介で顧客が増えていきました。ただ、パソコンなどの備品もすべてローンを組んでいたので、最初の6ヶ月はお金が全然なくて、売上金をほぼローンの返済に充てる状態が続きました。加えて、京都のサロンで務めていた時は21歳の時に店長を任されたり、その翌年マネージャー役としての教育者の経験をさせてもらったりしましたが、その程度の知識しかなくて、完全な経営に関しては未熟でその勉強にも苦労しました。

開業1年以内に法人化するまでに急成長した秘訣は?

オープン時のスタッフは学生アルバイト1人のみ、ほぼ自分一人で切り盛りしていましたが、経営が軌道に乗ってきた半年後にはスタッフを雇用し始めて現在は自分を含めて7人体制となりました。雇用面を考慮して、起業して1年経たないうちに法人化しました。スタッフ教育にも力を入れ、技術はもちろん、感じのよい挨拶や礼儀の正しさ、返事の声の高さまで厳しく指導してきました。実際、当たり前のことを当たり前にできない人がすごく多いので、その当たり前の基準の高さを上げよう、と。野球で例えると、甲子園を目指す高校とそうでない高校では明らかに学生たちの礼儀正しさが違う。それと同じことが僕らの技術にも通じてくるんじゃないかと思うんです。

 

店名の「Revo」は「革命」という意味。バンドマン、美容師、バーテンダーは「3B」と呼ばれ、賃金や休みが少ないとか、チャラそうとか良くない職業と思われがちなイメージを覆したいんです。僕自身もいろんな辛い目に遭ってきているので、実はこんなにいい仕事なのに悪く言われるのは嫌なものですが、現実を見ると不安定な業界ともいえるので、少しでも変えていきたい。「革命」というからには、一般の理容師より2倍も3倍も行動しないといけないと思うので、即決断・即行動をモットーに、いいと思ったことはすぐに取り入れる姿勢が今につながっているのではと思います。

 

特に力を入れてきたのはスタッフの早期デビューです。通常は2、3年アシスタントとして経験を積んでから、ようやくスタイリストになるパターンが多いですが、バイト経験があったスタッフは1年以内にデビューさせました。もちろん本人にとってプレッシャーはあるでしょうが、仕事のやりがいや楽しさが格段に違いますし、仕事に対する向き合い方が変わりますからね。

金沢で起業する魅力は?

金沢はヘアサロンがめちゃめちゃ多い土地。でも競合するからこそ意味があるのかな、と。といっても理容師同士で争うつもりはありません。独立している人はそれぞれの目的があるはずで、お客様をもっと喜ばせたい人もいれば、お金儲けしたい人もいる。いずれにしても意識が高くないと独立できないわけで、その意識の高い人材が多くいるほど金沢はもっといいまちになるはず。だからその分、独立している僕たちも責任を持ってやっていかないとと思うんです。同業者とは講習を開いて技術共有するなどのかたちで交流をしています。学ぶことに終わりはありませんからね。今はこれまでのように東京に行かなくてもオンラインで講習を受けられる時代となって、効率よく勉強できるのは、この道を開いてくれた人たちのおかげだと感謝するばかり。そんな学びやすい環境に恵まれているのだから、結果を出せるのは当たり前のことだと思うんです。

これから起業する人へのアドバイスを。

まずは、運転資金はちゃんと貯めておいた方がいいです。僕は修業中は自分への投資にばかりお金を回していてなかなか貯められなくて、資金ゼロからのスタートは大変でしたから(笑)。

 

それから、人生これで生きていくか、その覚悟はできているかを自分に問うことが大事。覚悟ができているなら頑張っていけばいい。僕もいろんな人に起業を止められましたが、それは自分のことを心配してくれ、応援してくれている裏返しでもあった。開業にはそれなりの借金をともなうわけですから、返済していく力があるのか、今後一生その道を歩む覚悟があるのか、という意味を込めて僕を止めてくれたんだと今ならわかります。それをしっかり振り切ることができたから今の僕がある。それでも、本当は一人じゃ何もできないし、周りの人の支えがあってこそだと起業して初めて気づかされました。だからその人たちへの感謝の気持ちを忘れず、これから恩返しをしていきたいですね。

今後の展望は?

今すでに決めていることは、2024年3月15日に2店舗目を出すこと。「Revo」オープンの時と同様に開運日にはこだわって、一粒万倍日と天赦日と虎の日が重なっている最強の吉日をオープン日と決めました。今と同じ「10代・20代の輝けるメンズサロン」がコンセプトで今のところ東金沢あたりの出店を考えていますが、物件探しはまだ先になります。いつか自分が生まれ育った津幡町にもお店を出したいですね。お店というのは、場所より人の方が重要だと思うんです。「Revo」は県外からのお客様も多く、県内では加賀から能登までお客様に来ていただけていることからも、お店が繁盛するかどうかは自分の力次第だと考えています。

 

さらにその先は、30代、40代には経営者としての道を進むかもしれませんが、この理美容業界に全力で貢献していきたい。目標は公務員以上に安定した良い環境にすること、そこまでいかなきゃ「革命」にならないでしょ。完全週休2日制、有休制度、福利厚生完備とすでに働きやすい環境を整えてきましたが、今後は年3回の賞与を目指して、理容師の所得を大幅に上げていきたいんです。そのためには当然成果が必要になってくるんですが、それは行動すればした分自分に返ってくるものだと思います。結果を出すべく日々励んでいれば、きっと公務員以上に安定した職業になるはずだと考えています。

 

そして、スタッフたちを一流に育て上げたら、独立してもらってもいいし、そのまま店で働き続けてもらってもいい。僕が50歳になった時、理容師の誰もが豊かな人生を送れるような職場にできたら、僕は毎朝庭で花の水やりしたり、コーヒー飲みながら新聞を読んでゆっくり過ごしたりして、10時から15時まで、5時間だけの床屋さんを一人でやりたい。そんな悠々自適の暮らしを楽しむのが、僕の遠い未来の夢ですね。

2023.1 編集:きどたまよ 撮影:黒川博司