はたらこう課

Interview

リレーインタビュー

北陸初のタフティングラグ専門店を
9㎡のタイニーハウスで開業する。

# 43

イズミ タツキ

TATSUKI IZUMI

タフティングラグ専門店

9㎡

Profile

1995年、大阪府堺市生まれ。金沢市・遊学館高等学校在学中は野球部で活躍し、2度の甲子園出場を果たす。卒業後、大手電力会社に就職。珠洲市や七尾市、金沢市、富山市の支社・本社に配属され、約10年の勤務を経験する。退職後、半年間の準備期間を経て、2023年3月にタイニーハウスを活用し、直江東で北陸初のラグ専門店「9㎡(キュウヘイベイ)」をオープン。オリジナルラグの製作・販売をはじめ、タフティングのワークショップ、イベント出店を手がけている。

起業までのいきさつは?

18歳の時に電力会社に入社して、サラリーマンとしてスーツを着て働いていました。10年間で7回も経験するほど異動が多くて、来年は一体どの場所で働いているかわからない。先の見通しを持てずに働くことに物足りなさを感じ、自分の人生を自分で選べていない感覚が強くなり、自分で何かやりたいなという思いが強まっていきました。

 

能登や金沢など転々とした後、本社への異動で配属された部署では5~10年規模の大きな政策を検討する仕事に携わりました。長期的方針を考えることや、誰かが立案したものを別の誰かが引き継いでいく仕事のあり方は僕には違和感があって、自分が働く場所として違うのではと疑問を持つようになりました。確かに大企業は安定していて長く働く環境としては恵まれていますが、僕みたいな若手にとっては稼ぎが少なく、年功序列制もあって給与はなかなか上がりません。20歳そこそこで結婚して子どもが2人、僕一人で家族を養うのは難しくもありました。

 

ものづくりを始めたのは能登へ転勤した時期。仕事は毎日定時で終わるうえ、娯楽が少ない場所だから何もすることがなくて体育館で筋トレばかりしていました。身体がどんどん大きくなって、いよいよ着られる服がなくなってしまい、自分で作ることにしたんです。元となる型として大きいシルエットで着られる既製品のTシャツを探して、刺繡を入れて高級感を出そうと考えました。ネットで見つけた加賀市の刺繍工場に問い合わせると1着から加工してもらえたんです。そのTシャツを着ていると友達から「ちょうだいよ」「作ってよ」とか言われました。友達が知り合いつてにSNSで刺繡入りTシャツを発信してみると、意外にも多くの購入希望者が集まったんです。自分が作ったものがこんな多くの人たちに届くんだ、これが商売の雰囲気なのか! と手応えを感じて、それからはアパレルの仕事を意識するように。シャツにプリントや刺繍するのは誰にでもできるし、だったらアロハシャツに特化しようと、今度は気に入った生地を見つけて業者に縫製してもらったアロハシャツをSNSで発信すると、ついには見知らぬ人からも購入してもらえるようになりました。

 

そのうちテレビ番組「人志松本の酒のツマミになる話」の衣装担当者から「アロハシャツを貸してもらえませんか」との連絡が。後日の番組放送で芸人さんが実際に自分のアロハシャツを着ているのを見て「こんなことあるん?」って大興奮。僕のアロハシャツは事前に採用が決まっていたんじゃなくて本番までにジャッジされるというので、放送日までの2週間はソワソワした緊張感とワクワクした高揚感が入り交じった日々。高校時代の野球部の試合の時と同じような感覚が久々によみがえったんです。このことが大きなきっかけとなり、ものづくりの世界に引き込まれました。

 

ラグ製作を始めたのは2、3年前、たまたまタフティングラグを紹介する海外の動画に出合ってから。使っている機械が目新しくて「面白そう! これならできるかも」と、仕組みを調べようにも当時は情報が一切ない状態。それでもラグ製品や材料はネットで入手でき、手に入らない部品は自作するなどして、見様見真似で製作していました。いずれは事業として本格化する可能性も見据えて、ラグ製作を手がける東京のスタジオへ見学も行きました。製作の流れを確認し、材料の仕入れの交渉もして準備だけ整えておきました。会社には副業規程があって、服を作る段階から申請を提出したんですが、前例がなかったからなんですかね、うやむやになって流れてしまいました。

 

その後コロナ禍に入り、家族全員がウイルスに感染して、自宅待機中は時間をもてあまし、妻に頼まれてラグづくりを教えるとハマりました。SNSに作品を投稿すると「それはどこでできるの?」ってすごく反響があったんです。都内ではタフティングラグの店がポツポツと増えているけど、北陸にはまだ1軒もないこと、客層、価格帯など、ぼんやりと自分の頭の中にあったことも妻に話すと、「それだけ考えているのならやってみたら?」と思いがけない言葉が返ってきて。決めかねている僕に「この先5年10年会社に勤める雰囲気がないのやったら早い方がいいよ」「あなたがやらんのなら私がやるよ」とまで言ってくれて、挑戦するなら今がチャンスだと思いました。気持ちが変わらないうちにと療養期間明けの出社当日に会社に退職を伝えました。奥さんも歯科衛生士の仕事を辞めて、半年の準備期間を経て、2023年3月1日にこのタイニーハウスでラグ専門店「9㎡」をオープンさせました。

 

ラグのデザインや店のレイアウトに関しては奥さんが担当し、僕は製作だけに集中しています。集客はSNS中心で広告はゼロです。若い方は旅の情報はInstagramやTikTokで調べるみたいですね。お客様は県内の方はもちろん多いですが、体験は県外客、特に富山、福井、東京、大阪の方が多いのは予想していませんでした。鼓門や茶屋街、近江町市場、兼六園など中心市街地の観光スポットは1日で回れてしまうので、2日目に何をしようと考えて、珍しさもあって来られている様子です。タフティング体験は伝統工芸体験に比べて初心者でもわりといい仕上がりになって満足いただけるのがいいところです。

起業で大変だったことは?

準備自体は想像以上にスムーズに進みました。商品販売だけならネットでもできるけど、ワークショップをやりたくて物件を探していました。でも大きな建物を借りるにはリスクがあり、最初から大金を投じられるかわかりませんでした。そんな中、トレーラーハウスやタイニーハウスなど、不動産と車を組み合わせた事業を展開されている「OLUOLULIFE」さんをSNSで知り、オーナーに話を聞きに行きました。すると、「よかったら使う?」とショールーム用のタイニーハウスを特別条件でお貸しいただけることに。タイニーハウスはトレーラーハウスよりコンパクトで移動も可能。でもここはショールームだから見学のお客様が来られることもありますし、移動はしません。

 

少額ですが日本政策金融公庫で融資も受けました。手続きも独学でしたが、こんなに簡単にお金が借りられるの? と驚くほどスムーズでした。高校の野球部での記録ノートを書く経験や、前職の会社での事務経験のお陰で文章作成に慣れていたからでしょうか。

 

当初ワークショップ一本のつもりでしたが、起業をして今も現役で活躍されている方々の意見を参考に、ラグ作品の販売をメインとしていました。北陸初の専門店だから、もっと引きがあると思ったものの、いざ開店してみると予想とは違いました。途中から切り替え、店での活動はワークショップを中心に、販売はイベントをメインに月に2、3回ほど参加しています。イベントではお客様が実際にラグの風合いや手触りを感じていただく機会にもなりますし、以前から気になっていたからと来られるお客様もいます。

 

ワークショップは予約がすぐに埋まるのが理想的ですが、まだまだ存在自体を知ってもらえていない状況。価格も安いものではないので本気で作りたいと思って来店される方ばかりです。それに、ラグは一度作ったら終わり、コーヒーショップみたいに明日も行くとはならない。新規のお客様を獲得するには、既存のお客様の5倍のコストがかかると言われており、そのあたりの課題もあって、ワークショップの内容や商品について常に模索中です。

金沢で起業する魅力は?

金沢は観光地として集客が成り立つまち。だから金沢で起業するのは魅力的じゃないかなと思います。どんなサービスにしても結局は集客に行き着くと思いますし、その点、金沢はブランド力がある。どこで店をやっているのか聞かれた時、金沢と答えるだけでも反応が違います。僕らの店も「金沢」と「ラグ」というキーワードだけで覚えてもらえるのは大きいことですね。

 

それと、自分が起業することを発言していくといろんな人が「知り合いがこんなのやっているよ」とか「補助金が使えるよ」とか教えてくれて、自然といろんな情報が集まってくるのも金沢の良さなんですかね。補助金は開業時には申請しませんでしたが、小規模事業者向けの補助金は創業3年以内に申請できるので、いくつかの条件を満たせば受けられる200万円の補助金枠を最大限に活用したいと考え、まとまった資金が必要になった時に申請するつもりです。

これから起業する人へのアドバイスを。

とりあえず小さいかたちでもいいから始めてみるのが大事だと思います。まずは結果を出すのが重要で、例えばメルカリで商品を売るというのでも販売実績になる。成功を重ねていけばおのずと事業は大きくなっていくだろうから、始めから無駄なリスクは背負わなくていいかなと思います。僕らも、もしこの事業が失敗したとしても、一生借金を背負うほどの金額ではないので、この歳なら挽回できるし体力的にもいけると思ったし、妻も何かあればいつでも歯科衛生士に戻って働けばいいと言ってくれていたので何も怖くはなかったです。あと心強かったのは国が運営する「よろず支援拠点」。僕みたいな起業について知識がない人におすすめです。マーケティング専門や税理士などのプロが事業者に合わせて無料でアドバイスをしてくれて助かりました。

 

とはいえ、経営していく上での不安は常にありますね。サラリーマンの頃は会社の不満を散々言っていたけど、会社員が黙っていても給料がもらえるのは、それだけ会社がリスクを背負って社員を雇っているということが今よくわかる。それでも僕はその頃に戻りたいとは思いません。客層もそうですが、ブランドのコラボの依頼やメディアの取材など、普通のサラリーマンをしていたら一生ふれあう機会がないような人が来てくれるのは不思議な感覚。面白いことをしていたら、面白い人が興味を持ってくれたり、その苦労をわかってくれる人がいたり。起業しようがしまいが、そういう人たちに出会うことはきっと自分の人生のプラスになると思うんです。

今後の展望は?

店名「9㎡」はこの建物の大きさを意味しています。サブタイトル「A big story that begins in a small cabin」には、いつか100㎡のお店に大きく成長した時、こんな小さな店から始まったというストーリーごとお客様に店を覚えてもらいたいという思いがこもっています。僕らはまだまだ走り出したばかり、すべて手探りで壁にぶつかり続けて、夫婦で作戦会議をする日々も楽しみながら、しばらくはラグの魅力を北陸に浸透させていくことに力を注ぎたい。だけどこの事業が未来永劫続くとは思っていません。必ず流行り廃りがあるし、ラグは生涯のうちに何度も利用するサービスじゃないので現実的にそれほど大きくなるような事業じゃない。いずれは違う業態に変化していかないとダメなのかなと考えています。だから10年後に何をしているかは自分でもわかりません。ラグとは違う何かを見つけたらそっちに行くかもしれません。

 

僕は大阪生まれで大半の同級生が地元の高校に進学する中、県外に行くのがカッコいいと思って金沢の高校に進学しました。ラグ事業も同じで、北陸でまだ誰もやっていないことを一番にスタートさせたかった。でも正直、自分一人だったらやる勇気はなかったです。一番すごいのは奥さん。僕の思いを後押しして一緒に実現させてくれました。感謝しかないですね。