はたらこう課

Interview

リレーインタビュー

人と人の繋がりで花開いた料理の道。
自分でしか生み出せない価値を探る

# 13

山岸 正志

MASASHI YAMAGISHI

料理人

季の肴 雨㐂草(うきぐさ)

Profile

1981年、石川県宝達志水町(旧押水町)生まれ。専門学校を卒業後、金沢市内の洋服店でアルバイト勤務。半年後に仕事を辞めてフリーターに。花屋、和食料理店、カフェ、居酒屋など、様々な職場を転々としながら経験を積む。本格的に料理の道で生きることを決意し、自分の店を持つことを目標にする。2013年11月、金沢市片町に『季の肴 雨㐂草(うきぐさ)』をオープン。夫婦で店に立つ。

料理の道に入り、起業に至るいきさつは?

学校卒業後は洋服屋を開業したいと思い、当時通っていたお店にアルバイトとして入りました。インポートものの買い付けのために、出張でニューヨークに行かせてもらったこともあります。でも、その頃ちょうどインターネットの普及がどんどん進みつつあって、店舗を構えて対面での物販がこの先大変になるんじゃないかと思って、半年ぐらいで辞めました。そうはいっても、サラリーマンをやっている自分像が見えなかったし、結果1年ぐらい無職の状態になってしまったんです。花屋もいいなぁと思って働いてみたものの、初日から全然面白くなくて、翌日にはもう辞めてしまいました。

そのうち、金銭的にも精神的にも極限まで追い詰められてゆく中で、10年後の自分は何ができて、どうしているんだろう、と危機感を抱くように。思い至ったのは、手に職を付けること。そこで料理の道に入ろうと考えました。といっても、料理に特別興味があったわけじゃないし、ただ漠然とですが…。近江町市場の近くの割烹料理店でスタッフを募集しているのを知り、さっそく面接へ。マスターから「社員でどう?」と言ってもらえたにもかかわらず、僕は、毎日何時から何時までの、きっちりした働き方が苦手だし、ここもいずれ辞めるかもしれないと思ったから、夜だけのアルバイトでお願いしました。そんなふうに、のらりくらりとした生活を送っていましたね。

そこは、丁寧な仕込みがなされたしっかりした和食を提供しており、常連客でいつも賑わう繁盛店でした。少しずつ料理を教えてもらいながら仕事を続けていましたが、実は一度辞めてカフェで働いてみたことも。でも、カフェの仕事が性分に合わず、わずか2週間で辞めたんです。僕は何でもついダラダラと続けてしまう性格なので、自分に合わないと思ったら、きっぱり見切りをつけるようにしているんです。

それでも料理は続けたいという思いだけは変わることなかった。母親へも「いつかは自分の店を持てるよう頑張るから、迷惑かけるけど続けさせてほしい」と宣言もしていたし。結局、また割烹料理店に戻らせてもらえることになり、トータルで6、7年間と一番長く働かせてもらいました。その間に調理師免許も頑張ってとりましたね。その後、金沢駅前にある居酒屋でも2年働かせてもらいました。自分とほぼ同年代のマスターは、「いつまでもこのままじゃだめなんじゃないか。とにかく自分でやってみたほうがいい」と僕の背中を押してくれました。代わりのスタッフが入るタイミングで、勇気を出して独立を決心しました。

店舗物件も見つかっていたものの、色々あって一から探す羽目になり、再び無職の状態に。加えて、これから借金をしようという大変な時期でしたが、結婚にも踏み切りました。カウンターにおばんざいが10~15種類並ぶスタイルと、いつしか自分のやりたい店がなんとなく見えてきましたが、しばらく物件も仕事もない状態が続きました。そのうち友人から「物件が見つかるまで小松のおばんざい料理の店で修業してみないか」と誘われて働くことに。半年経った頃、僕と嫁とその友人と3人でこの場所を見学して、「片町だし、庭付きだし、まぁいいんじゃない?」という感じで即決。友人は、当時洋服屋を営む傍ら、店舗デザインも手掛けていたので、僕の店も任せたいと彼にお願いしました。彼はその後、デザインの会社を立ち上げて活躍しています。

片町を選んだ理由は?

高校生の頃からよく遊びに来ていたのが片町でしたから、知り尽くしています。新幹線開業を控えていた時期だったので、融資の相談をした銀行の人からは「どうして片町?」と不思議がられましたね。駅前だと観光客や出張のサラリーマンなど不特定多数のお客がほとんど。一見さんを相手にする仕事は、僕には馴染めない。常連客をきっちり付けて地味にやる方が自分には向いていると思ったんです。

片町といっても、スクランブル交差点から川下側の長町寄りに集まる客層がいいと以前から思っていました。まさに“ギリギリの片町”のこの物件は、元々は和菓子屋、その後、有機野菜の専門店、お寿司屋と次々に変わり、何をしてもすぐに潰れてしまうので、飲食業にはダメな場所とされていました。工事時、通りすがりの近隣の方から「なんでこんなヘンな場所を選んだんや?」なんて言われたぐらい(笑)。僕にとってはそんなことは全然気にならなかった。店舗や料理の見せ方や提案の仕方でやっていけると確信していたからです。

特に料理一筋で長くやっている方だと、「おいしいものさえ提供していればそれでいい」と考える人が多いでしょう。でも、僕にとってそれはスタート以前の問題であって、そこからどんなふうに壊していくかが大前提でした。素材の組み合わせをどうひねっていくか、器づかいや盛り付け方によって、どうしたらいい意味で裏切られるか、といったことです。だから店舗デザインから携わっていこうと決めていました。建物のコンセプトは「何屋かわからない店」です。幸い箱庭の見える大きな窓があったため、実際の建坪よりも広く感じることができたので、あえて大通りに面した正面は小さな窓に。さらにその窓の位置も中途半端な位置につけました。結果、それが信号待ちをしている乗用車の目線ともぴったり(笑)。狙い通り、「以前から気になって来てみたかった」とおっしゃるお客様が多い。「なんだか高級そうで入るのがちょっと怖い」ともよく言われますが、実はいいお客を掴みたいという思いもある。店構えでお客様の期待も高まる分、自分にとってもハードルも上がってプレッシャーも大きいですが、それでも僕は感度の高いこと、面白いことに挑みたいという根っこにある思いの方が強いんでしょうね。そもそもお金儲け目的ならこの仕事は選ばない。だって、仕込みも大変だし、お客のムラもある商売ですから。

オープンに先立って宣伝は全くしなかったのですが、徐々に口コミで広まってお客が少しずつ増えていきました。広告を出したり、雑誌に掲載されたりするよりも、来てくれたお客様がお知り合いを連れてきてくれたり、お客様がSNSでお店や料理のことを発信してくれたりする方が、はるかに宣伝効果が大きいと実感しています。

独立起業への不安や苦労はなかったですか?

幸せなことに、苦労はまったく感じなかったです。洋服屋で勤めていた時の人脈がずっと繋がっていて、店づくりを手伝ってもらったり、人を紹介してもらったりもしました。僕の周りにはサラリーマンの知り合いが少ないんです。起業したり、一人で何かをやっていたりする人がほとんどで、そういう人たちの影響も受けているのかもしれない。特に店舗デザインに携わってくれた友人は、全幅の信頼を置ける存在。何でも相談できて、こちらから投げたどんな問題も、自分の想像を上回る答えで返してくれ、頼りにさせてもらっています。

ただ、独立への不安は少なからずありました。自分の店を持って今年で3年、ようやく自信が持てるようになってきましたが、飲食業を数々経験したといっても、どこも忙しい店ばかりだったので、言われた仕事をこなすだけの日々でした。僕は味付けまでを任されたこともないし、煮炊きの勉強もしてこなかったから、本当に僕で大丈夫だろうか、と。ともあれ教えてもらった料理の基本をベースに、自分の感覚を落とし込んでいくしかなかった。今もインターネットや本などを見て、料理や盛り付けについて研究し続けています。料理の世界に浸り続けるとつい頭が固くなりがちな僕に、嫁が「こんなん普通じゃない?」とズバズバ言ってくれるので、だんだん既成概念を壊してもいいのかなと思うようになりました。料理の最終的な味は、接客に入ってくれている嫁とスタッフと僕の3人で決めて商品化しています。

この『うきぐさ』は、決して僕だけのお店だとは思っていません。修業させてもらった料理店の方々や、背中を押してくれた居酒屋のマスター、店舗デザインや仕事の紹介をしてくれた友人、中のテーブルなどを制作してくれた友人、日々の接客や思い切った助言をしてくれる嫁、スタッフなど。そして亡くなった祖父も、僕の独立のためのお金を残してくれていて、開業資金の一部に使わせてもらいました。みんながいてくれなかったら、今の自分はないと心から感謝しています。洋服屋のアルバイト時代には遊んでばかりとバカにされたこともあったけど、その頃に知り合った多くの人たちに助けられて、このお店ができたわけです。だから、色んなものを見て、経験しておくことは必ず意味があると自信を持って言える。音楽、洋服、アートなど、あらゆるところにアンテナを張って、実際に足を運んで見てみること。そうすれば何かあった時でも、自分の処理能力で乗り越えられるはず。でもそういうものは一朝一夕でできるものじゃないからこそ、自分の強みになっていくのだから。

金沢で起業する意味についてどう考えますか?

石川県以外の土地での経験はないし、県外に住みたいという願望はこれまでなかった。勉強の一環として県外のいろんなお店に行ってみると、正直言って料理やサービスのクオリティと価格が合わない、言うなれば見掛け倒しのお店に出合うことも多い。価値のあるものにちょっと価値を付けてお金をもらうのは誰でもできる。でも、知恵を絞り、工夫を凝らして、あまり価値のないようなものに大きな価値をプラスする方が断然面白いと思うんです。そのために、自分たちにしかできないことをやっていきたい。

ここには海も山も川も近くにあり、近江町市場もある。その時季の旨い食材が多彩に揃う恵まれた土地です。石川ほどの場所は他にはなかなかありませんし、特に料理人にとっては魅力的な場所です。とはいえ、どんなお客様にも対応できるよう、つねに勉強していないといけません。ただ、出張で全国を巡っているような方は、僕らよりも何でもよく知っていらっしゃる。そういうお客様からはこちらが勉強になることも多く、耳を傾けさせていただいています。これぞカウンター商売の楽しみだと実感する瞬間です。

今後の展望は?

20歳そこそこで10年先を見据えて、今までどうにかやってこられた自分に合格点をあげてもいいのかなと思えます。だからといって、このままずっと続けているのは面白くないし、この先の自分がどう変わっていけるのかを考えていかないと。とはいえ、2号店をつくるといったことにはまったく興味はないんです。どうせなら、海外でお店を持ってみることに挑戦したいですね。

外国にある和食の店では、お寿司といえばカリフォルニアロールと思われているのと同じように、中国人などが見様見真似でつくるものが日本料理だとされて、本物の和食を出すお店の方が潰れいってしまう逆転現象も起こっているほど。そんなおかしな状況に僕は納得いかないし、そこに自分が挑んでいきたいんです。むろん、資金面ではまだまだ追いつかないですが、それぐらいの規模でやっていくことを考える方が面白でしょう。僕は料理しかできないから、この先もずっと料理の世界で、とにかく自分が面白いと思うことを追求していきたいですね。

編集:きど たまよ  撮影:黒川 博司