はたらこう課

Interview

リレーインタビュー

独自の発想力で古着店から活動の幅を広げ、
人と人をつなぐ「キュレーター」を目指す。

# 27

桶田絵梨香

ERIKA OKEDA

古着洋服店

CORPO CIRCUS

Profile

1984年生まれ、白山市出身。文化服装学院ファッションビジネス科卒業後、ヴィンテージショップに就職し、海外で古着を買い付けるバイヤーの業務にも4年間携わる。退職後、テレフォンアポインターや飲食業、工場作業、ホステスなど、幅広い分野でアルバイトや派遣の仕事を掛け持ち。2010年、里見町でヴィンテージショップ『CORPO CIRCUS(コルポサーカス)』を開業。’16年よりオリジナルウェアやアクセサリーの販売、’17年より、美容師向けの衣装レンタルショップ『PLAY ROOM』をスタート。「妖怪るつぼ」と題したイベントなども企画。

起業までのいきさつは?

25歳の時、この店をオープンさせました。子どもの頃から私は「将来は服屋さんをやる!」と決めていたんです。だから服飾の専門学校に入り、卒業後はメンズとレディースを扱うヴィンテージショップに就職しました。そのうち、アメリカに商品の買い付けに行くバイヤーの仕事も任されました。

けれど、古着屋を辞めてからは私にとってまさに「暗黒期」だった。派遣やバイトの仕事を常に3つぐらい掛け持ちしていました。テレアポ(テレフォンアポイント)や工場の仕事、飲食関係の仕事、ホステスもしていましたが、どれもファッションとは全く違う仕事ばかり。どれも長く続かなかった。特殊な能力を持っているわけじゃないから、ただ物理的に働くことしかできなかったんです。とにかく一生懸命働いて50万円貯まったところで、旅行や買い物なんかでゼロになるまで使い切る、そしてまた働く、そんな暮らしぶりでした。その頃は私のメンタルも腐っていたし、ずっとフラフラしていたから、家族にも相当心配をかけたと思います。そんな中であっても私をワクワクさせてくれるのは洋服、特に古着でした。いつも心のどこかに、いつか服屋をやるという思いがあったんでしょうね、海外に行くたびに古着の仕入れルート探しもやっていました。

働くこと自体は好きなんです。工場の仕事だって、テレアポの仕事だって、どんなことでも自分なりの楽しみを見出して働くことができました。その一方で、これだけ働いていても、これだけ案件をとっていたって、他の人と給料がそう変わらない、そういう現実が嫌でたまらなかった。

「アパレル業界は一般的に給料も休みも少ない」というイメージが根付いていること自体も、なんとも納得できなかった。雇われの身だとトップのやり方で進めないといけないのは当たり前のことですが、当時は、私のやり方ならどうだろう自由なやり方でどれくらい結果を出せるだろうって頭の中で巡らせてばかり、自分の我の強さが前に出過ぎていましたね。今から思えば経験もないくせに、自信だけはあるという状態。とにかく「自分の楽しいこと、大好きなことで、上限なくお金が欲しい」という起業への気持ちがどんどん強まっていきました。

それで、テナント募集の物件を見つけるたびに、どんな店にしようと想像を膨らませていたんですが、ある時「ここだ!」と一気に惹かれた物件と出合え、いよいよお店を開くことに。とはいえ、オープンまでにたった3ヶ月しかなく、すぐにそれまでの仕事を全て辞めて準備にとりかかりました。といっても資金は全くない状態、どうしても融資を受ける必要がありました。幸い、新品の洋服を扱うセレクトショップだと内装にも費用をかけなきゃいけないんですが、古着屋だとそんなに開店資金はかからないんです。それに最初から100%のお店を目指さないと決めていました。だから以前のブティックの内装のまま、一つも手を入れず、商品を並べる什器は自分の部屋で使っていたものを利用しました。公庫から借り入れた資金で商品の服や鏡、レジを購入したぐらい。だから開店当初は今と全然違って、店内はすごくあっさりした雰囲気でしたね。

古着はフランスやアメリカなど、移民のエッセンスが詰まっている雰囲気のものが好きなんです。現地のパートナーに送ってもらったり、自分でも買い付けに行ったり。100年以上前のアンティークものもあります。

起業で大変だったことは?

起業する時は融資の申し込みにとても苦労しました。実は以前から遊び感覚で銀行や公庫に話を聞きに行っていたことがあって、開店のための融資を受ける手順を学んでいたので、すぐに相談に行きました。といっても、通常は手持ちの資金が借入金額の半分から3分の1ないと融資が下りないと言われているんですが、私には全然なかったんです。それでもなんとか融資を受けるために、幾度となく公庫に足を運びましたし、書類作成が大変でした。いろんな資料をいっぱい貼り付けた書類を提出したのを思い出します(笑)。

特に宣伝・広告は行わなかったんですが、オープンしてすぐは知り合いも多く来てくれたし、目新しさもあってお客が結構入りました。でも3ヶ月ほど経った頃、これはまずいと思う状況に…。何もわからない人がポロッと店を始めるとこんなことになるんです。そもそも価格設定も高かったし、見映えのカッコよさばかり追求して、一体誰がいつ着るのかという服の割合が多すぎたんです。せっかくお客様に来店してもらっても購入につなげることができなかった。アパレルの仕事のブランクもあって、世の中の流れがわかっていなくて、ついには元々のお客様も来てくれなくなりました。気持ちが焦るほど、イメージを追い過ぎた品揃えはさらにブレていきました。

さすがにこれではいけないと感じ、品揃えや価格帯を練り直し、ちゃんとしたホームページをつくって、オンライン購入できるようにしました。それでも、大手の古着ショップに比べるとやはりうちの商品の価格は高いし、コアな客層に向けた品揃えという、どうしても勝てないことをやっている以上、接客がものをいうんです。店内に流れる音楽であったり、お客様と話す内容であったり、洋服に魔法をかけなきゃいけない。服といっしょに自分のキャラクターも売り込むという、服屋というのはある種宗教のようなものだと私は捉えています。

うちのお店には「オタク」なお客様が多いんです。「オタク」といっても、いろんなジャンルで突き詰めて食べている人のこと。私自身もミーハーなので、オタクの話は好きで楽しいし、いろんな知識も入ってきます。しかも、お客のふり幅も大きくて、元ホームレスの人もいれば、億単位のお金を稼ぐ人もいる。だからといって、あまり相手によって意識せずにフラットに接客しています。

オリジナルの商品も販売していますね。

オープン当初は自分の店を持てたことで「どうだ!」って感じで生意気でした。お店をやっていくうち、才能のある人に会う機会がいっぱいあって、自分は何者でもないという思いに打ちのめされるように。料理人やデザイナー、芸術家などは、ゼロから何かを生み出していて尊敬しています。でも私は誰かのつくるものを買ってきて売るだけ。やろうと思えば誰でもできるんです。そういうこともあって、オープン3年目に自分がプロデュースしたオリジナルの洋服やアクセサリーの販売をスタートさせました。どれも私がデザインしたものですが、お客様にはあえて伝えていません。お客様がどんな反応をするか見たくて、密かに実験しています。

インスタやホームページに掲載する商品写真はとても大切だと捉えていて、オリジナルアイテムに関してはモデルを使って本格的に撮影しています。そういう写真がサイトに入っていたら、どういう感じになるか、地方ではちょっとやってなさそうなことをやりたくて、これも実験の一つなんです。

あとは、2年前から美容師様のためのヴィンテージ服のレンタルショップも始めました。1日1組1時間と決めて、何百着もある衣装を自由に見てもらっています。金沢は美容室の数が飽和状態になっていることもあって、とりわけ美容師は融資を受けにくいと聞きます。デビューするまでは金銭面や時間での制限もある美容師にとって、コンテスト用やSNS用の撮影のために、衣装を用意するのは大変なこと。美容師向けの衣装レンタルはまだまだ地方では弱いところでした。うちでは衣装のクリーニング代と家賃がまかなえるぐらいの手頃な金額で貸し出しています。儲からなくても、利用した人が宣伝してくれるので広告費と捉えればいいし、レンタルから古着として商品を販売に回すこともできますから。

起業への不安はありませんでしたか?

いざ起業しようとすると、本当にうまくできるんだろうかと考えてしまうことがあって、最初の一歩を踏み出すのが怖かったですね。だからお店をスタートさせるまで家族にも言わなかったし、否定的なことを言いそうな人には一切会わないようにしていました(笑)。

でも、お店はクルマと同じだと思うんです。こだわりたい人はとことんこだわるけど、私はそれほどのこだわりはない。だから、数百万円がゼロになっても、クルマを買ったと思えばいいと考えました。これまでも「50万円貯まったらゼロになるまで使う」生活を繰り返していたし、一生返せないような金額じゃないと考えれば、それほどの不安は感じなくなりました。

私の母は「欲しいものは金額で決めたらダメ、それぐらいの範囲の人間になってしまうよ。服屋さんならなおさら」と言うような人。そういう母の教えも影響してか、内装や什器にはお金を一切かけなくても、鏡には120万円もかけてしまいましたけどね(笑)。私がたまたま女性だからということもあるのかな。もし結婚したばかりの男性だったら、家族のことを考えて迷ったかもしれません。自分を取り巻く環境が、こんなふうに恵まれていたから、この店を開くという冒険ができたと思っています。

金沢で起業する魅力は?

金沢が大好きで他の地域に出たいと思ったことはありません。家族や友達など大好きな人がいっぱいいるからです。旅行でいろんなところに行くたびに、やっぱり金沢が好きだと改めて感じるんです。特に食べ物なんかは全国でもトップレベルですからね。

ただ、狭いまちなので、すぐにどこかで人脈がつながっちゃうんですね。だから、絶対に泥酔しないようにしています(笑)。金沢のいいところは、人が優しいこと。私より上の世代の方は、「金沢の人は内向的だとか身内意識が高い」とおっしゃる人が多いように思いますが、私自身はあまり感じません。つながり合いながら商売できるところもいいですね。どうしても人口の母数が少ないので、都会と比べてお店がやりやすいわけじゃないけど、お客様と互いに信頼し合えたら、末永くいい関係が築けるんじゃないでしょうか。

これから起業する人へのアドバイスを。

自分の長所だけを考えればいいんじゃないかな。短所を直すことも大事だけど、長所を伸ばす方がずっと早いから。もし迷っているのなら、やったらよいと思います。それから、自分が嬉しいということより、人が嬉しいと思ってもらえることをするのが大切。それがひいては自分のためになるはずです。

あとは、どうやっても追いつけない人が周りにいればいいんじゃないでしょうか。私は服屋だけじゃなく飲食やショップなど、とにかくいろんなところを回ります。たくさんの人に出会うだけ、やはり圧倒的にパワーがある人や面白い人に出会います。そういう人を見ておのずと湧き上がる、「悔しい!」という思いが自分の原動力になっています。そんなふうに意識しちゃう人の存在が必要かな。

今後の展望は?

オリジナルのウェアもアクセも、レンタルも、これまで全部思いつきで始めているんで、これといって特に何をするかは決めてはいませんが、今はオリジナルで洋服のボタンをつくりたいと考えています。変わった手法を取り入れて、色を変えたり、加工したり。古着のボタンの全て、またはどこか1個だけ変えられるようにしたら、お客様からどんな反応があるか、また実験してみたいですね。

それから、黄金比が意識されているものは普遍的なものになるんじゃないかということが気になっています。毎日無意識に妄想タイムがありますが、そんな妄想と思いつきがまた楽しみながら形になればと思います。気になったこと、思いついたことはすぐに手帳にメモしています。私に特殊な技術や能力はないけど、くだらない思いつきのストックだけはあって有難い事にそれを具現化してくれる友人達が周りにたくさんいてくれています。そういう人たちをつなげて、これまでにない新しいことを企画する「キュレーター」でありたいと常々思っています。

2019.10 編集:きどたまよ 撮影:黒川博司