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2021.04/15 起業家紹介

起業家紹介vol.2 日々。Movie Studio

そこにある「物語」を、映像として残したい

日々。Movie Studio
映像ディレクター 菅田智子

プロフィール
1981年石川県能美市出身。大学卒業後東京の映像制作会社に入社。ニュース番組やドキュメンタリー番組の制作に携わる。フリーランスの映像ディレクターとして独立後は、映画からウェブコンテンツの制作まで幅広い分野を手がける。2018年、家族と共に鎌倉市から金沢市にUターン。二児の母。

ハードワークなテレビ業界で

大学を卒業して、東京の報道系テレビ番組制作会社に入社しました。大学時代からローカルテレビ局でバイトしていたこともあり、映像の世界に興味を持っていたということ、あとは東京で自分を試してみたいという気持ちからでした。
最初に配属されたのはニュース等の映像を編集する、キー局の報道編集部です。そこで3年半必死に働いていたのですが、そのうちに「これは自分がテレビ業界でやりたかったことだったろうか」ということを考え出してしまって。ニュースは「いつ/どこで/誰が/どうなった」といった情報を「より早く/正確に」伝えることが使命で、そこに主観を入れてはいけないわけです。けれど、そもそも私は「そこにはどういう思いを持った人がいて、それに対してあなたはどう思うか」という問いかけを、テレビを通してやりたかった。

あとは、体が辛くなってきたことも一つありました。当時週2日は夜帯のシフトだったことや、ニュースという常に緊張感とプレッシャーが伴う中で生活をしていたので、気力だけではどうにもカバーできなくなってきていて。特に女性は体を壊して辞めるか、結婚して辞めるか、という人が多かったですね。
そこで26歳のときに、ドキュメンタリーや紀行番組などを得意とする映像制作会社に転職します。ハードワークであることに変わりはなかったけれど、そこでは制作や編集に何ヶ月という時間をかけて一本の番組をつくるという、私がやりたかったことに近いお仕事をさせていただいていました。

出産と3.11をきっかけに立ち止まる

27歳のときに主人と籍を入れ、結婚しても2年ほどは以前と変わりなく思いっきり働けていたのですが、妊娠していることが分かって。妊婦となると、もはや自分の意思だけでこの生活は続けられないので「これからどうしよう…」と考えているときに、あの東日本大震災が起こったんです。

その日は公共交通機関はすべて止まり、千葉の自宅まで歩いて帰ったことを覚えています。都市部で被災することの怖さはこの時に実感しました。また、千葉の自宅が当時福島原発からの放射線が流れてきていると報じられていたエリアに該当していて。お腹の子どものためにも「とりあえず実家に帰らせて欲しい」と職場に懇願し、いったん仕事を休ませていただいて4月に石川県に戻ってきました。
「休業」という形ではありましたが、どちらにせよもう以前のような働き方と子育ては両立できない。長女の出産を機に、お世話になった会社を辞めました。

出産から一年経って、状況も落ち着いてきたので主人のいる関東に戻ることになり、子育て環境も考えて同時に住まいを千葉から神奈川の鎌倉に移しました。娘も2歳半になった頃「そろそろ働いてもいいかな?」という気持ちが自分の中で芽生えてきて。これまでに築いたつながりを頼って、そこからはフリーランスのディレクターとして働き始めます。この間映像編集はもちろん、子ども向けの映像教育コンテンツづくりなどにも関わりました。

「忘れたくない瞬間」を映像に

再び忙しくする中で、「あれ、娘が赤ちゃんだったときってどんな感じだったけ?」とふと思う機会が増えてきたんです。あんなに可愛いと思っていたのに、記憶としては全然残っていない。そこで、趣味で撮っていたホームビデオを見返してみたら、当時の記憶がブワッと溢れ出すように蘇ってきて。こんなにも素晴らしい時間なのに、当時だって「忘れたくない」と強く願っていたはずなのに。人ってこんなにも忘れてしまうんだなぁと。

そんなことを考えているうちに「じゃあ、私が映像に残せばいいんじゃないか?」と思い立ったんです。それが「日々。Movie Studio 」のはじまりです。長年映像の「編集」はやってきたけれど「撮影」は自分でしてこなかったので、「日々」の立ち上げに際して撮影技術も一から学びました。
そういった設立経緯だったので、当初は「忘れてしまう子どもとの時間を記録に残す」ということを「日々」のコンセプトにしていました。それは「ママ達に覚えておいて欲しいから」というよりも、「覚えていた方が後から自分が救われる」ということを自分自身すごく実感したからなんです。同じ子を持つ女性達にもこの気持ちを体験してもらえたらと。

もちろん写真として残す方法もあります。けれど、子ども特有の仕草や声のいじらしさまで伝えられるのは、やはり動画ならでは。今ならスマートフォンという便利な道具もありますが、そうなると撮影者であるママやパパはそこに写らないわけで。親といるときの子どもたちの空気感ってすごく自然で、それだけで“完成”していると思うんです。だからこそ「第三者が撮る映像」というものに意味があるのかなと。

「死」が近くにあることで、人は優しくなれる

業務委託される仕事と、個人の活動としての「日々」と。仕事も充実していて生活環境も良かったので「このままずっと鎌倉で暮らすんだろうな」と思っていたんです。けれど、いざ鎌倉で家を建てようと不動産屋に相談に行ったときに、主人が「鎌倉で家を建てているイメージができない」と言い出したんですね。その根底には「いつかは北陸に戻りたい」という主人の想いがありました。

私がその提案を受け入れられたのは、これから起こるとされる南海トラフ地震を私自身恐れていたというのが一つ。そうしてもう一つの理由として、「高齢者もたくさん暮らす地方に住む」ということ、つまり「死」が身近にある環境で暮らすということが、子育てにおいて結構大事なんじゃないかと感じ始めていたことがありました。
私自身、老いていく祖父母と暮らす「せつなさ」は幼心にも感じていましたし、「優しさ」のような感情もそこから生まれて来るものなんじゃないかと思うんですね。「一番元気な世代」だけで集まって暮らしている都市部にはそれがない。20〜30代のうちは「思いっきり仕事して、楽しく飲んで」でもいいけれど、家族ができてからは違う生き方をしてもいいのではないかと。それで、北陸に戻ることに決めました。

金沢を選んだ理由と、
ワークライフの優先順位

映像制作の本場といえばやはり東京だし、仕事面での未練がなかったかと言われれば、それは今もあります。だからこそ東京の案件を現在も受けているし、北陸の中でも金沢を選んだ理由もそこにあります。一番は新幹線の乗りやすさ。金沢なら2時間半で東京に行けるし、撮影さえ終わってしまえば、あとの作業はもうどこでもできる時代なので。

女性でフリーランスの映像ディレクターというのは、地方ではまだまだ珍しい存在です。子育てと仕事の両立はもちろん大変な面もありますが、自分の中で優先順位は決めています。今は子どもが一番。土日は基本的に仕事は受けず、お迎えはいつも17時です。業務上迷惑をかけないよう、最初にこの条件はお伝えさせていただいています。

私はもともと仕事は大好きだし、やりがいをもって働く姿を子ども達に見せることも大切だと思うのですが、子がある程度大きくなるまでは、この優先順位は逆転させないようにしています。 でも、たまにスイッチが入って深夜まで作業してしまう日もありますが。
「日々」はもともとライフワークとして始めたものなので、これ自体で稼ごうとはあまり考えていません。けれど石川に戻って2年半過ごす中で様々なご縁があり、結婚式や企業のプロモーションなど仕事の幅自体は広がっています。
特に今興味があるのは「終活」。私の祖母が亡くなった時、葬式にいらしてくださった高齢の女性から、幼い頃に私の祖母がよくぼたもちを食べさせてくれたこと、それがとても美味しかったのだという話をうかがって。式中に流す映像で祖母の若い頃の写真を見ながら、私が知ってる「おばあちゃん」の顔以外にも、彼女にも人生があったのだと改めて気付かされたんですよね。その物語を映像にできたらと。

これまで「子ども」や「家族」を中心に撮って来ましたが、そこにストーリーがあるものであれば、きっとすべて「日々」の撮影対象なのだと最近は思っています。
私は作り込まれた“カッコイイ映像”というものにはあまり興味がなくて。そういうものは撮れないし撮らない。なんなら匂い立ちそうなくらいに、“人の気配”があるシーンに惹かれます。結局、私は「人」が好きなんです。日々では今後もそういった映像を撮っていきたいですね。

(取材:2021年2月 編集:柳田和佳奈)

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