はたらこう課

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2021.04/15 Report

起業家紹介vol.3 坂の上ベーカリー

「パン」ではなく、人の心が動く「パン屋」をつくりたい。

坂の上ベーカリー
若井夏輝

1993年新潟県出身。金沢工業大学建築デザイン学科へ入学。在学中に野々市市にある洋食店「ジョンカリオストロ」で始めたアルバイトをきっかけに飲食業に関心を持つ。2年時に退学し、本格的に飲食業の世界へ。金沢製菓調理専門学校調理師科卒業。20歳で系列店の店長を務める。その後「ひらみぱん」や「あさひやベーカリー」を経て、2020年、26歳の時に金沢市寺町に「坂の上ベーカリー」を開店。

劣等感の塊だった学生時代

高校は新潟で「文武両道」を掲げる学校でした。僕は野球部に所属していたのですが、それこそ甲子園に出場数するような強豪校で、レギュラーどころか最後までベンチにも入れず終い。だからといって勉強ができるわけでもなく、僕はどちらにも入れない落ちこぼれで、自分はヒエラルキーの底辺にいる人間だと思っていました。この頃は常に「勝てない」という意識が自分の中にあったように思います。
高校時代から飲食の仕事にはなぜか惹かれていて、進路相談で「調理系の専門学校に行きたい」と言ったこともあったのですが、周囲が皆進学する中で相手にされず、そのまま「なんとなく」で大学に進んでしまいました。

そこで建築を学ぶ中で、僕が提出する「単位を取るための課題」と、他の学生たちの「建築を志している課題」を見比べた時に、その差は歴然としていて。この業界で僕は食べていけないだろうとは痛感していましたし、自分自身の心が動かされていない状況にモヤモヤした日々を送っていました。
大学生活も2年目に突入した頃、アパートの近くにあった洋食店でアルバイトとして働き始めます。そこのオーナーがとても面白い人で「大学を辞めるので弟子にしてください」とお願いしたんです。両親とは大喧嘩になりましたが、2年生の夏には大学を辞めました。そこからアルバイトをしながら金沢調理師専門学校に通い、専門学校卒業後は社員として本格的に洋食店で働き始めます。

20歳のときに系列店の店長を任せていただいたのですが、その頃はちょうど経営的に縮小していた時期で。どんどんスタッフが辞めていく中、僕はお世話になったオーナーになんとか恩返しできないかと「僕が1年でなんとかします」と豪語し、朝から深夜まで働き続けました。ようやく経営が軌道にのってきたところで、洋食店は辞めさせていただき、「ひらみぱん」で働き始めます。

誰でも手を伸ばせば届く「パン」という存在

もともと自分は「料理」に興味があったのですが、この頃から「パン」というジャンルに魅力を感じてきます。パンは小さいお子さんからご年配の方まで、誰でも手を伸ばせば届く食べもの。自分自身の想いを伝えるツールとして、とても裾野の広い業態なのではないかと考えるようになっていました。
その後、白山市の「あさひやベーカリー」さんで働き始め、オーナーのはからいで「日本パン技術研究所」にも通わせていただきました。また“街のローカルなパン屋さん”とは対極にある世界も見てみたいと、空いている土日はフレンチやイタリアンで働かせていただいたりもして。
僕は大学を中退して飲食の道に入っているし、もともと手先が不器用だということもあって、「人の何倍も働かないと」という焦りにも似た気持ちが、どこかにあったように思います。

思いがけない形で、26歳の独立

そんな日々を送っていた2019年の春、寺町で愛されていたパン屋さん「寺町大丸堂」の店主が、急逝されてしまいます。店主の奥様は「本人はまだまだパンを焼き続けるつもりでいただろうから」とオーブンを処分するのではなく、今後も使ってくれる人を探しておられました。知人の紹介で奥様にお会いする機会があり、色々とお話を伺っているうちに「この寺町という地域から、パン屋をなくしてはいけない」という想いが僕の中に芽生えていました。働いていてた「あさひやベーカリー」のオーナーも背中を押してくださり、思いがけない形で「坂の上ベーカリー」として起業することになります。パン屋は設備投資にお金がかかる業種ではありますが、僕の場合オーブンはもちろん、ミキサーなども譲っていただいたものです。店舗も知人の紹介で安く借りさせていただいたりと、いろんな方に応援いただき、イニシャルコストを極力下げてスタートすることができました。
自分でパン屋をやっていく上で、僕はスタッフの労働環境を一番よくしたいという想いがあります。パン屋って、単価は安いし朝は早いしで低賃金長時間労働という過酷なイメージがあると思うのですが、そのイメージを僕は変えたくて。うちでは、朝は7時からで、8時間勤務と決まっています。労働時間は短くても、県内のパン業界で一番良いお給料をあげられるように動いています。

そのためにも、スタッフにも「ここはブランディングの場なんだ」という話をしています。店舗単体で考えるのではなく、そこに大きな事業を付帯していくことでその事業で利益を生む。まずはその基盤となる信頼を築くためにこのお店はあるのだと。

なぜここでパン屋をやるのか、という自問

その事業のひとつめがオンラインストアを開設した「旅パン便」です。坂の上ベーカリーがオープンしてすぐに新型コロナ感染拡大が広がりました。その中で「なんで僕はパン屋をやるんだろう」「ここで店をやる意味ってなんだろう」といった問いかけを常に自分の中で繰り返していました。その問いと、これまで考えてきたことが結びつく瞬間があり、さらには様々な方の応援があってこの企画を実現することができました。
オンラインサイトはリリースしたばかりですが、すでに大きな反響をいただいています。旅パン便では、石川の老舗企業さんや生産者さんとコラボレーションさせていただいています。けれど、もともとすべての方と繋がりがあったわけではもちろんありません。
オープンしてまもない小さなパン屋とコラボレーションして良いと思っていただくために、一社ずつ手書きの資料を準備してプレゼンテーションをさせていただきました。僕はただ単にコラボ商品をつくりたいわけではなく、その企業さんが大切にされてきている歴史や文化を自分の中で咀嚼して、パンという形で表現したい。「美味しいと思っていただけなかったら、このパンは世に出しません」と約束して挑戦させていただきました。

「坂の上ベーカリー」は寺町のローカルなお店ではありますが、石川という「大きなローカル」に支えていただけるようなお店でありたい。だからこそ、自分たちも地域の企業や農産物を応援できるような店でありたいんです。

パンという「メディア」を介して伝えたいもの

僕はよく「『パン』ではなく、『パン屋さん』をつくっていこう」とスタッフに伝えています。もちろんそこに美味しいパンがあることは大前提として、「この場所で何を感じていただけるか」ということを大切にしたい。ここに来るワクワクであったり、何か心が動くような物語を僕たちは提供したい。そういう意味では、僕にとってのパンは、想いを伝えるツールやメディアなんだと思います。

そもそも僕がなぜパン屋を、そしてなぜ自分でビジネスをしているのかという根底には、学生時代に味わった惨めな気持ちがあります。いじめにあった時期もある。だからこそ、「力がない人達」の気持ちが身に沁みて分かるんです。
こんな自分でも何かことを成すことができたなら、彼らも自分の将来に希望をもってもらえるのではないか、そんな想いから僕は事業をやっています。そして、ここで上げた利益は目標を叶えようとするそうした人たちに投資したいんです。だから「坂の上ベーカリー」のロゴや看板なども、有名なデザイナーさんにお願いするのではなく、「これから」な同世代の人たちと一緒につくりあげています。

「パンがつくれるからつくる」のではなく、「伝えたいことがあるからパンをつくる」。坂の上ベーカリーのミッションは、パンのその先に人の心が動く瞬間をつくることだと思っています。ここはパン屋ではあるけれど、「パン屋」だと思ってもらえなくても、それはそれで嬉しいですね。

(取材:2021年2月 編集:柳田和佳奈)

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