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2022.03/23 起業家紹介

起業家紹介vol.12 andyo

「どっちか」じゃなくて、「どっちも」という選択肢

andyo
久松陽一

1981年長崎生まれ。2006年多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。「シンガタ」「Hotchkiss」を経て、2021年株式会社「andyo」を設立。企業、商品のブランディングのためにクリエイティブディレクション、アートディレクションを行う。商品開発、CI、VI、パッケージデザイン、まちづくり、行政の起業実践アドバイザー業務など、様々な領域で活動。Hotchkiss時代に「はたらこう課」の立ち上げ、企画運営に携わる。「ITビジネスプラザ武蔵」ディレクター。

縁に導かれ「広告」の道へ

僕が「デザイン」というものを意識し始めたのは、高校のサッカー部の先輩が武蔵野美術大学にデザイン系の学科に進学したことがきっかけでした。絵を描いたり、ものを作ったりするのは昔から好きだったのですが、「そういう学校があるんだ」と、この頃から進路の選択肢として美大を考えるようになり、美術系予備校にも通い始めます。

目指していた多摩美術大学のグラフィックデザイン科は人気が高く、当時の倍率は18倍。それでも僕には“多摩美”が光って見えていたので、二浪してでも念願の入学を果たします。独立するまでお世話になっていた水口克夫さんに出会ったのも在学中です。水口さんはアートディレクションの授業の講師として大学に来ておられました。

その頃の僕は、仲條正義さんのような作品性の高いグラフィックデザインの仕事に憧れていて、なぜか「広告」にはあまり興味がなかったんです。就職活動中、自分の好きなデザイナーにポートフォリオを見せに行こうと準備していたまさにその時に、水口さんから「うちに来ない?」と声をかけていただいたんです。

水口さんは“広告業界”のど真ん中で活躍されているアートディレクター。当時の自分が目指していた方向と異なるけれど、せっかく声をかけていただいたご縁なので挑戦してみようと。そして大学4年生の頃から「シンガタ」(黒須美彦氏・佐々木宏氏らと水口さんが立ち上げたクリエイティブブティック)で働き出します。
この選択が、結果自分にとっては良かったのだと今振り返ってみて思います。「広告」って様々な業界や仕事とつながっているので、広告のデザインを通して世の中のことを勉強させてもらっていた時期でもありました。

知り合いが一人もいない金沢支社を任されて。

シンガタから水口さんが独立してデザイン会社「Hotchkiss」を表参道に設立したのが2012年。僕も初期メンバーとして立ち上げに関わります。3年が経った頃、水口さんの故郷・金沢にHotchkissの支社をつくる話が持ち上がり、僕に支社長の白羽の矢が立ったんです。
実を言うと、それまで一度も金沢に行ったことがなく、どんなところかも全く分からない(笑)。けれど「任せてもらえる」という喜びが勝って、僕としては金沢行きが楽しみでした。新幹線が開業した2015年、なんとか説得した家族を連れ(口説き文句は「H&Mできるよ」でした。笑)、東京から金沢に移住します。

金沢の印象としてまず感じたのは、美意識がとても高い街だということ。街並みが美しいのはもちろんのこと、普段の生活で使っている器や、持っているもの、精神性に至るまで、街とそこに住む人々の生活の随所に「美」が息づくいている街だなと。そこにポテンシャルの高さを感じていました。

“関係性”は作ろうと思ってつくれるものじゃない。

移住当初は金沢への好奇心が溢れ出て、とにかく毎日飲み歩いていました(笑)。知り合いがいないので、面白そうな飲み屋さんに一人で訪れては、店主にまた面白い店を紹介してもらって飲みに行く、を繰り返して。そして「会ってみたい、話してみたい」と思った人には、全く繋がりがないのに「お会いしたいのですが…」と直接お電話して訪ねたりもしていました。

そんな僕を見て、「ギラギラしてるね」とか「業界感あるね」と言われることも多かったのですが、自分としては好奇心の赴くままに動いていただけでなんですよね。「コネクションづくり」だと見られていたのかもしれませんが、人と人との“関係性”というものは、つくろうと思って意図的につくれるようなものじゃありませんし。
とはいえ、当時は何も知らない新参者だったからこそできた面はあると思います。今やれと言われてもちょっとできないかも…(笑)。

“起業のリアル”を伝える「はたらこう課」。

金沢で少しずつ知り合いが増える中で、このコンパクトな街の中で陶芸家や建築家、デザイナーなど、様々なジャンルの面白い人たちが活躍していて、同時に彼らの異業種同士の繋がりがたくさんあるということが分かってきました。
もちろん東京でも様々な繋がりはありますが、これだけ多様な業種の人たちが密度高く集まっている街ってなかなかないなと。だからこそ、彼ら同士の繋がりをさらに加速させてネットワーク化できたら、この街でもっと面白いことが起きるのではないか。このアイデアが、後の「はたらこう課」立ち上げのコンセプトにも繋がっていきます。

「はたらこう課」を担当させていただいて、様々な業種で起業している方々にお会いできた経験も、自分の中では大きかったですね。当時僕は会社員だったわけですが、フリーランスや経営者の方々は「全部自分でやらなきゃいけない」という状況なわけで。その気合いというか「覚悟」みたいなものも肌で感じさせてもらっていました。
皆さんには自由に活躍できる起業の魅力を語ってもらうのはもちろんなのですが、「今月は入金がなくてヤバイんです…」みたいな生々しいお話も時に聞かせていただいたりして。インタビューでもトークイベントでも、とにかく「はたらこう課」では、そういった“起業のリアルなところ”を話してもらうことを、自分としては大切にしていました。

支社長という“プレ独立体験” 。

いずれは独立したい、という想いはデザイナーを志した当初からずっとありました。けれど「自分にはまだ実力がない」「その時期ではない」と長年思っていたんです。仕事もやりがいがあって充実していましたし。その僕が「そろそろかな」と自然と思えるようになったのは、やはり金沢支社を5年間まかせてもらった経験があったからだと思います。
形式的には「支社」でしたが、実際はほぼ独立した運営体制でしたし、金沢は金沢で裁量を持って自由に仕事をさせてもらえていたんです。自分で営業して、仕事を取って、売り上げをつくってー…。すると「仕事の生まれ方」というものがだんだん分かってきたんですね。

今思えば、金沢支社時代は僕にとって「プレ独立期間」だったとも言えるのかもしれません。東京時代、僕はいちサラリーマンとして会社に来る仕事をしていましたが、金沢では「自分で仕事を取ってくる」という手応えを感じることができました。後ろ盾がなくなるということは怖いことでもありますが、その緊張感は自分の励みにもなり得るんですよね。

金沢で変わった、僕のデザイン観。

40歳になるタイミングに「今しかないな」と独立を決意しました。どこを拠点にするのかと考えたとき、「東京に戻る」という選択肢は早い段階で僕の中にはありませんでした。もちろん東京の仕事の良いところもたくさんありますが、僕としては地方の方が面白かったんです。
地方には目の前のいたるところに課題があって、そこに住む人たちのリアルな悩みや愚痴がある。その現状を目の当たりにしながら、デザイナーとして何ができるか。自分が関わることで、少しでも物事が良い方向に動いていくなら、そしてそんな風に「デザイン」が使われるなら、デザイナーとしてこれほど本望なことはないなと。東京ではマスの仕事が多かった分、人と人の距離が近い地方で仕事をすることでまた見えてくる部分が違ってきました。これは金沢に来て変わった、僕のデザイン観の一つです。

「地元九州に戻る」という選択肢ももちろん考えました。けれど金沢でいただいた数々のご縁を大切にしたいという想いがあり、今は金沢に残ることにしました。小学校の入学など「子ども達のタイミング」というのも、親でもある身としては重要ですしね。

「いつかは長崎の仕事がしたい」という目標はあります。けれど今はどこにいても仕事はできる時代なので、拠点はいくつあってもいいし、そこを行き来しながらでもいいのではないかなと。金沢から完全にいなくなって、もうそれっきりというのはあまりに寂しい。長崎と金沢、将来的にどちらとも関わっていけたらと思っています。

デザイナーと、山。

実はあともう一つ、自分が金沢から離れられない理由として大きかったのが「山」の存在なんです。金沢に来てから北アルプスをはじめ、友人たちと登山に行く機会が増えたのですが、山に登ってから自分は変わったと思っています。

それこそ「はたらこう課」きっかけで仲良くなった岩本くん(継手意匠店)達と初めて剱岳を登った時のこと。剱岳って、ゴツゴツした岩の塊というか本当に険しい山なのですが、その時はさらに天候も悪く、登山の初心者だった僕らにはとても厳しい状況だったんです。「行かない、登らない」という岩本くんをなだめながらも一歩ずつ歩を進めたら、最終的に無事に山頂に辿り着けていたんです。
「自分には無理だ」と思っていたことが、できた。この経験は僕らにとって大きかったんですね。それ以来時間を見つけては山に登っているのですが、今は達成感を味わうというよりも、「山と対話する」感じなんです。もちろん山は喋らないわけですから、つまり「自分との対話」なんですよね。すると、余計なことがどんどん削ぎ落とされて最終的に「一番大事なことは何か」が見えてくる。それって、デザインにも通ずるところがある。だから「山があるから、金沢から離れることはできない」って、冗談じゃなく結構本気で言っているんですよ。

デザインにも関係性にも終わりはないから。

今は自宅の一角に事務所を設けて、そこで仕事をしています。最初は自宅で集中して仕事ができるか不安だったのですが、慣れてしまえばこちらの方が断然楽だということに気づきました。やろうと思えば起きてすぐ仕事もできるし、何より家族揃って夕食を食べられるということはこれまでなかったので、すごく幸せです。

独立するにあたって、会社名には自分の名前である「陽」は入れたいと思っていました。世の中を明るくしていくという意味をこめています。「and」には、関係性を大事にしながら一緒につくっていくという意味がひとつ。あと、デザインにも関係性にも終わりもなく「次はこうやって、そしてこうなって..」と続いていく。だから「そして」としての意味も「and」には込めています。

僕の好きな哲学者・ヘーゲルに「弁証法」という哲学用語があるんです。例えば「これは四角だ」という“テーゼ”に対して、「これは丸だ」という“アンチテーゼ”がある。そこに両者を統合するような視点で見た「これは円柱です」という“ジンテーゼ”がある。そしてそのジンテーゼに対してまたアンチテーゼが出てきて続いていく。僕はこのジンテーゼの視点がとても大事だと思っていて。AとBどちらかをすぐに決める二者択一だけじゃなくて、「どっちも生かしたらいいじゃん」という幸せな選択肢を、デザインで示していけたらと思っています。


(2022年2月 写真・文:柳田和佳奈)

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