2022.03/03 起業家紹介
起業家紹介vol.10 山岸浩也デザイン室
「居心地の良い状態」をつくる
山岸浩也デザイン室
1980年、石川県金沢市出身。近畿大学建築学科を卒業後帰郷し、地元の編集プロダクションに入社。現場で働きながらデザインを学んだ後、2010年に独立。「ITビジネスプラザ武蔵」に入居し、2年間の準備期間を経て、2012年3月、現在の場所へ事務所を構える。現在、印刷物を中心にグラフィックデザイナーとして活動。
自分が納得できる生き方を探して
実は、もともとデザイナーを目指していたわけではないんです。高校は普通科だったのですが、進路を決めるにあたり将来就きたい職業や学びたいことも特になくて。唯一思っていたのは「誰かに指示されたものをそのまま作るような仕事はやりたくない」ということでした。なるべく自由度が高そうな分野を探した結果、建築系であれば自分で考えて色々と挑戦できそうだし、理系なので就職先に困ることもないだろうと思い、もともと建物が好きだったこともあって近畿大学建築学科に進学しました。
大学では建築の歴史を学んだり設計図を書いたりと、建築にまつわる全般を学びました。卒業後、「せっかくであれば人生で一度は海外に住んでみたい」と思い、働いて必要な資金を貯めるために一度地元に帰ってきました。ある日ハローワークで求人を探していたら、「グラフィックデザイナー募集」という言葉が目に飛び込んできて。建築関係も候補ではあったのですが、それこそ今から20年くらい前の話。当時はそんなに変わった住宅や攻めたデザインの住宅はなかなかなくて、僕の求める「自由さ」は意外となさそうだなと思って。デザインであれば、より自由にクリエイティブできるのかもと期待して、グラフィックデザイナーを募集していた地元の編集プロダクションに入社しました。それがこの道に進んだきっかけです。
入社した先は編集やライティング、デザインなど印刷物を中心としたクリエイティブ全般を手掛ける会社で、僕は現場で先輩に教わりながら、一からデザインを学びました。デザインについては全くの未経験で「トンボ」も知らない状態で入社したのですが、建築もデザインも「自分で何かを作り上げていく」という部分では同じ。「絶対にこうやらなきゃいけない」という決まりはないし、とにかく自分で考えて工夫しながらやってみる。試行錯誤しながら自分が納得できる答えを見つけ出す。それが何かを「作る」ことの面白さなんじゃないかなって思います。
大学では建築の歴史を学んだり設計図を書いたりと、建築にまつわる全般を学びました。卒業後、「せっかくであれば人生で一度は海外に住んでみたい」と思い、働いて必要な資金を貯めるために一度地元に帰ってきました。ある日ハローワークで求人を探していたら、「グラフィックデザイナー募集」という言葉が目に飛び込んできて。建築関係も候補ではあったのですが、それこそ今から20年くらい前の話。当時はそんなに変わった住宅や攻めたデザインの住宅はなかなかなくて、僕の求める「自由さ」は意外となさそうだなと思って。デザインであれば、より自由にクリエイティブできるのかもと期待して、グラフィックデザイナーを募集していた地元の編集プロダクションに入社しました。それがこの道に進んだきっかけです。
入社した先は編集やライティング、デザインなど印刷物を中心としたクリエイティブ全般を手掛ける会社で、僕は現場で先輩に教わりながら、一からデザインを学びました。デザインについては全くの未経験で「トンボ」も知らない状態で入社したのですが、建築もデザインも「自分で何かを作り上げていく」という部分では同じ。「絶対にこうやらなきゃいけない」という決まりはないし、とにかく自分で考えて工夫しながらやってみる。試行錯誤しながら自分が納得できる答えを見つけ出す。それが何かを「作る」ことの面白さなんじゃないかなって思います。
デザインの仕事は楽しくて、気がついたら7年が経っていました。独立したいという強い思いを持っていたわけではないのですが、会社という枠組みから離れることで仕事の幅がより広がることもあるだろうし、独立するのであれば、失敗してもやり直すことができる若いうちの方がいいと思い、2010年に退職しました。
フリーランスになってからは、まず「ITビジネスプラザ武蔵」のインキュベーション施設に入居しました。賃料が安かったのと、僕は大学が県外だったということもあり、地元の人や同業種の人とのつながりが少しでも増えたらいいなと思ったんです。独立するにあたって自信があった訳ではありませんが、7年間は会社で一生懸命仕事をしていましたし、何とかなるだろうと。ビジネスプラザの入居者のつながりなどもあり少しずつ人脈が広がって、それに伴い仕事もだんだん増えていきました。入居期間が3年間と決まっているのですが、一緒に仕事をしたこともあったビジネスプラザの一年先輩だったライター・河原あずみさんと「共同で事務所を借りた方が家賃も抑えられるよね」と意気投合し、二人で物件を探しました。
フリーランスになってからは、まず「ITビジネスプラザ武蔵」のインキュベーション施設に入居しました。賃料が安かったのと、僕は大学が県外だったということもあり、地元の人や同業種の人とのつながりが少しでも増えたらいいなと思ったんです。独立するにあたって自信があった訳ではありませんが、7年間は会社で一生懸命仕事をしていましたし、何とかなるだろうと。ビジネスプラザの入居者のつながりなどもあり少しずつ人脈が広がって、それに伴い仕事もだんだん増えていきました。入居期間が3年間と決まっているのですが、一緒に仕事をしたこともあったビジネスプラザの一年先輩だったライター・河原あずみさんと「共同で事務所を借りた方が家賃も抑えられるよね」と意気投合し、二人で物件を探しました。
仕事は一人でも、事務所に仲間がいる心強さ
見つけたのは寺町の蛤坂と犀川に挟まれた場所にある、もともとは倉庫だったという秘密基地のような事務所でした。ちょうど犀川を見下ろすような位置にあり、川も山を眺められるロケーションが気に入っています。2012年3月に引っ越したのですが、犀川の両岸にはちょうど桜が咲き始めていました。事務所開きで仲間を呼んで、花見をしてお酒を飲んで。すごく楽しかった記憶があります。
今、事務所では僕とライターの河原さん、大廣さん、塩本さんの4人が共同で仕事をしています。振り返れば独立してからすぐにビジネスプラザに入って、その後も事務所を共同で借りたので、個人事業主ですが一人で仕事をしたことって一度もないですね。事務所に人がいて何気ない会話をしたり一緒にランチを食べに行ったりできるのは心強いですし、仲間がいるのはありがたいことです。
今、事務所では僕とライターの河原さん、大廣さん、塩本さんの4人が共同で仕事をしています。振り返れば独立してからすぐにビジネスプラザに入って、その後も事務所を共同で借りたので、個人事業主ですが一人で仕事をしたことって一度もないですね。事務所に人がいて何気ない会話をしたり一緒にランチを食べに行ったりできるのは心強いですし、仲間がいるのはありがたいことです。
事務所を構えてからの10年はあっという間でした。声をかけていただいた仕事は、基本的に全て引き受けるようにしています。仕事って、何かを生み出すという点ではアウトプットのようですが、クライアントと打ち合わせをしたり、制作にあたって試行錯誤したりすることは一番のインプットなんですよね。なので、できるだけ幅広い仕事をしたいと思っていますし、それが引き出しを増やすことにもつながると考えています。
僕は大学時代にストリートダンスをしていたのですが、その時の考え方はデザインにも通じるところがある気がしていて。「こうでなければいけない」という正解はなくて、自分たちがかっこいいと思う振り付けをする。そういったことに楽しさを感じるタイプなんだと思います。もちろんデザイナーは発注者から依頼される立場なので、100%自分の思い通りにできるわけではありません。ですが、与えられた仕事のなかで「自分の役割として何ができるか」を考えてベストを尽くすことは大事だと思っています。様々な仕事をするなかで多くの人と出会いますが「こんなやり方があるんだな」とか「こんな考え方もあるんだな」って学ぶことばかりです。
常に意識しているのは、「自分が居心地が良いと感じるのはどういう状態か」を考えること。昔はデザインの本や雑誌も色々読みましたが、デザインの仕事って「デザインを極める」ことだけではないので、もちろんデザイン自体も勉強するのですが、自分が見たり触れたりするものがどういう状態だったら心地良いのか、逆に違和感があったり不自然な感じがしたりするのはどんな状態なのか。印刷物であればどんな形に落とし込めるのかということを意識するようにしています。
僕は大学時代にストリートダンスをしていたのですが、その時の考え方はデザインにも通じるところがある気がしていて。「こうでなければいけない」という正解はなくて、自分たちがかっこいいと思う振り付けをする。そういったことに楽しさを感じるタイプなんだと思います。もちろんデザイナーは発注者から依頼される立場なので、100%自分の思い通りにできるわけではありません。ですが、与えられた仕事のなかで「自分の役割として何ができるか」を考えてベストを尽くすことは大事だと思っています。様々な仕事をするなかで多くの人と出会いますが「こんなやり方があるんだな」とか「こんな考え方もあるんだな」って学ぶことばかりです。
常に意識しているのは、「自分が居心地が良いと感じるのはどういう状態か」を考えること。昔はデザインの本や雑誌も色々読みましたが、デザインの仕事って「デザインを極める」ことだけではないので、もちろんデザイン自体も勉強するのですが、自分が見たり触れたりするものがどういう状態だったら心地良いのか、逆に違和感があったり不自然な感じがしたりするのはどんな状態なのか。印刷物であればどんな形に落とし込めるのかということを意識するようにしています。
どんな経験も、決して損にはならない
僕は「仕事=人生」というタイプではなくて、隙さえあれば遊びたいって思っているんです(笑)。例えばカメラマンと一緒に仕事で能登へ行くとしても、早めに集合して現地の喫茶店でモーニングを食べたり温泉に入ったり、せっかく遠出するのであれば思いっきり楽しみたい。もちろん仕事ばっかりのときもありますし、それでも良いのですが、なるべく仕事のなかに楽しみを盛り込むようにしています。
子どもの頃から遊ぶのが大好きでキャンプをしたり外で遊んだりするのが好きなのですが、仕事に限らずどんな経験も何かしらの形で役に立つと思っています。自分が好きなことって、ジャンルが違っても方向性が近かったりするじゃないですか。僕の仕事の場合はグラフィックデザインですが、仕事で何かを「作る」という行為にも、きっとどこかに自分の「好き」の要素が反映されていると思うんです。なので、どんな経験も「やって損した」みたいなことにはならないんじゃないかな。
いま関わっている仕事の一つに、「白山一里野温泉スキー場」の中腹にキャンプ場を作るプロジェクトがあります。僕はもともとキャンプが好きということもあって、「継手意匠店」の岩本守雅さんから声をかけていただきました。コンセプトデザインの段階から携わり、ロゴを作ったりホームページを制作したり全体的に関わっています。キャンプ場の名前は「HITOYAMA」。これに合わせて、オリジナルロゴ「キヤンプマン」も生み出しました。メンバーみんなで、「どんなキャンプ場にしようか」という段階から考えるのはすごく楽しかったですね。今年(2022年)9月のオープンを目指しています。
子どもの頃から遊ぶのが大好きでキャンプをしたり外で遊んだりするのが好きなのですが、仕事に限らずどんな経験も何かしらの形で役に立つと思っています。自分が好きなことって、ジャンルが違っても方向性が近かったりするじゃないですか。僕の仕事の場合はグラフィックデザインですが、仕事で何かを「作る」という行為にも、きっとどこかに自分の「好き」の要素が反映されていると思うんです。なので、どんな経験も「やって損した」みたいなことにはならないんじゃないかな。
いま関わっている仕事の一つに、「白山一里野温泉スキー場」の中腹にキャンプ場を作るプロジェクトがあります。僕はもともとキャンプが好きということもあって、「継手意匠店」の岩本守雅さんから声をかけていただきました。コンセプトデザインの段階から携わり、ロゴを作ったりホームページを制作したり全体的に関わっています。キャンプ場の名前は「HITOYAMA」。これに合わせて、オリジナルロゴ「キヤンプマン」も生み出しました。メンバーみんなで、「どんなキャンプ場にしようか」という段階から考えるのはすごく楽しかったですね。今年(2022年)9月のオープンを目指しています。
仕事も趣味の時間も大切にしながら
職業柄、外に出る機会が少ないのですが、それであれば良い音楽を聴いたり美味しいコーヒーを淹れたりと、多くの時間を過ごす事務所を居心地の良い場所にしたい。仕事をしていると毎日コーヒーを飲むので、せっかくならより美味しいものが飲みたいし趣味にできたら面白いかなと思って、ちょっと凝って焙煎から自分で楽しんでいます。働く時間も趣味の時間も、自分で調整できるのが自営業の良いところですね。
今でも時間を見つけて山登りをしたり、キャンプや釣りを楽しんだりしています。そうやって日々の生活の中に楽しみを作るとストレスを溜め込みすぎることもないし、仕事が嫌になることもない。働く環境もそうですが、好きなものに触れていた方が心地よく過ごせるし、前向きに仕事に取り組めるような気がするんです。
僕は人と接する上で、カッコつけたり適当に取り繕うことだけはしないようにしています。個人で仕事をしているので、ちゃんとコミュニケーションをして僕がどういう人間なのかも知ってもらいたいし、相手のこともちゃんと知りたい。自分に嘘をつかず、できるだけ自然体でいることが日々を楽しく生きることにつながるし、結果として「居心地の良い」デザインにつながるのではと思っています。
僕は人と接する上で、カッコつけたり適当に取り繕うことだけはしないようにしています。個人で仕事をしているので、ちゃんとコミュニケーションをして僕がどういう人間なのかも知ってもらいたいし、相手のこともちゃんと知りたい。自分に嘘をつかず、できるだけ自然体でいることが日々を楽しく生きることにつながるし、結果として「居心地の良い」デザインにつながるのではと思っています。
(取材:2022年1月 編集:井上奈那)