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2023.03/30 Report

起業家紹介_vol.17 角谷美由紀

ヘアメイクで伝える「あなたのままが一番素敵」

enne 角谷美由紀

石川県能美市出身。ブライダル系の専門学校卒業後、2003年から美容室に入社しブライダル事業部に所属。 2008年ファッション系のヘアメイクを学ぶために24歳で上京。ヘアメイクMio氏に師事。2011年に石川県にUターンし、フリーランスのヘアメイク「enne」として独立。現在は金沢市幸町にて「lecture de minuit」「knopue」とのシェアアトリエを拠点に、CM・広告撮影・ウエディングなど幅広い分野で活動中。

コンプレックスを肯定してもらえた原体験

「働きたい」「早く大人になりたい」という願望が、なぜか昔からすごく強い子どもでした。周りの大人からも「手に職を持て」とはよく言われていて、それも「人を相手にする仕事じゃないと、いつかコンピューターに取って代わられるよ」と。当時としてはなかなか先見的な意見だなと、今振り返ってみて思うんですけど。

その「手に職」の分かりやすい職業が、私にとっては「美容師」だったんです。美容師に憧れたきっかけは、小学校の時に髪を切ってくれていた美容師さんの存在。私はずっとクセ毛がコンプレックスだったんですけど、その美容師のお姉さんが、クセ毛を「可愛い」って褒めてくれて。それがすごく嬉しかったんですね。
中学生の頃にはもう美容師になると決めて、「すぐにでも働きたいから高校には行かない」と言ったけれど、さすがに親には反対されて(笑)。「高校に進学する代わりにバイトをさせて欲しい」と交渉し、高校一年生の夏休みから美容室で働き始めます。

もちろん高校生なので、髪を掃いたりタオルを洗濯したり、簡単な裏方仕事ばかりでしたが、「お店に出て働く」ということはすごく楽しかったし、何より美容師の現場を見ることができた。ただ、高校の3年間バイトを続けて気づいたことが「自分はそこまでカットには夢中になれないな」ということでした。今まで美容師になることだけ考えていたけれど「ちょっと他の世界も見てみよう」と、ブライダル系の専門学校に進みます。

「へメイク」という職業との出会い

離れてみて改めて気づいたのは、カットには興味を持てなかったけれど、お客さんと向き合う「美容院の空間」というか、あの現場が自分はすごく好きだったんだなと。そんな話をバイト先の美容師さんにしていたら「別に美容師じゃなくても、ヘアメイクっていう仕事もあるよ」と教えてもらったんです。「どっちかじゃなくて、どっちもやっている美容院が金沢ならあるから、行ってみたら?」って。
そこで、卒業後はブライダルのヘアメイクも担当している、金沢市内の大きな美容室に入社します。当時北陸では、「ヘアメイク≒ブライダルの仕事」という状況でしたが、入社した会社ではCMなどの外部のヘアメイクの仕事も請け負っていたんです。今思い返してみてもそれはすごく幸運なことで、そこで出会った人との繋がりが、今のお仕事にも繋がっています。

入社して3年を過ぎた頃から、「東京に行きたい」という想いが頭をよぎり始めます。当時のブライダル業界はとても忙しくて、若くても「下に教える立場」を徐々に任されるようになってきていました。自分自身はまだまだ未熟で、もっと学ぶ必要があると感じているのに。そのジレンマに悩み、お店で学べることにも限界を感じて「外で学びたいです」と24歳の時にお店を辞めさせていただきました。

ファッション業界の現場を見るために

東京に行く目的は「ファッション業界を見ること」。つまり「ファッションもやっているヘアメイクさんのアシスタントにつく」ということでした。石川でフリーランスでやっていくためにも、何か差別化が必要だと感じていたからです。
なので、「就職」ではなく「弟子入り」という形になります。どうやったらアシスタントになれるのか、最初は全くわからなかったので、とりあえずファッション雑誌に載っているクレジットを片っ端から調べて、ヘアメイクさんの情報をリストアップし、直接事務所に問い合わせることを繰り返しました。その下調べの期間は、退職する前から一年くらい続けていました。

でも問い合わせると「えっ、東京在住じゃないんですか?」って必ず聞き返されていたんです。アシスタントって今すぐにでも来れる子じゃないとダメで、東京に住まないことには相手にもしてもらえない。なので「3ヶ月以内にアシスタント先を絶対決める」と目標を立てて、ひとまず上京しました。何人かに面接していただき、結果的には2ヶ月で決まります。


ヘアメイクアップアーティストの人たちはとにかく「人手が欲しい」という状況だったので、基本的な受け答えができれば、技術云々ということはアシスタントの段階であまり問われないんですね。その中で、私は一番現場の近くで仕事させてもらえそうな方のところを選びました。「とにかく吸収したい、ファッションの現場を見たい」という気持ちが強くて、今思い返せばなんであんなに生き急いでいたのかなと思うくらい。

ただ、アシスタントの条件は思った以上に厳しくて、当時はどこも月収3万円くらい。「これでどうやって東京で暮らしていけば…」と、一瞬迷ってしまって、実は師匠のところも一回断っているんです。でも、やっぱり師匠のところしかないと思い直して、めっちゃ気まずかったんですけど「やっぱり働かせてください」と電話して。「一回断っておいて、もう一回電話してきたヤツはお前が初めてだ」って、その後3年間いじられ続けましたけど(笑)。でも勇気を出して電話した自分の判断は間違ってなかったと、今でも思います。

自分で考えて行動する。師匠の教え。

採用していただいた次の日から「じゃあ〇時に〜に来て」とだけ言われて、行ってみたらもう雑誌で見ていた人たちが目の前にいる。カメラマンも、スタイリストもモデルさんも、現場にいる人たちみんなそう。
「昨日までの自分と、“この一歩”の差で、全く違う世界に入れてしまうんだ…」ということに衝撃を受けましたね。そこから、怒涛のアシスタント生活が始まります。

この3年間は本当に濃密で、昼夜問わず物凄く忙しかったけれど、記憶ははっきりとあるんです。日々が学びで、とても一言では集約できないのですが。
私の師匠は昔ながらの職人気質で、具体的なヘアメイクの技術に関しては、「見て学べ」というスタンス。特別に何かを教えてもらうというわけではありませんでした。ただ「自分で考えて行動しろ」ということは、繰り返しおっしゃっていました。「なぜ」「どうして」を常に問われて、それを自分の言葉で表現できないといけない。それまでは会社員だったので、基本的には「言われたこと」をやってきたわけで、あらゆることに対して「自分で考える/判断する」ということが求められる状況は、最初はなかなか難しかったですね。
「人として」の基本的な部分も師匠からはたくさん教わりましたし、私にとって師匠はずっと「師匠」で、自分の基盤を作ってくれた人です。

拭えない東京への違和感

当時は“赤文字系”と呼ばれたファッション誌も最盛期で、業界的にも物凄くバブリーな時期でした。ヘアメイクの予算感も、お金の使い方も全然違う。撮影一つとっても、いつも現場にはものすごい量のケータリングやお菓子が並んでいて、モデルさんがそれをつまみつつ談笑してー…。
キラキラしてて華やかで、すごい世界だなと思う反面、当初からそこに乗り切れない自分がいました。「これって本当に必要なのかな?」と考えてしまったり、北陸の実情とのあまりの違いに憤りさえ感じたり。その違和感はずっと消えることがなくて。

そして、東京には星の数ほどヘアメイクさんがいて、競争も激しい。営業にいくためには自分の作品を撮ってポートフォリオを作らないといけないのですが、その制作にも物凄くお金がかかります。やっと撮った作品を編集者さんに持って行っても、まともに見てもらえているのかすら分からない状態。元々の関係性の中で仕事が決まっていく傾向が強いヘアメイクの世界で、私には抜きん出たものがなかったし、お金だけがどんどんなくなっていくという状況。
東京の居心地の悪さと、自分の実力にも限界を感じていて、「やっぱり私は、北陸がいいな」と改めて感じました。元々「東京修行は3年間」と決めていたこともあって、28歳で地元に戻ります。

システム化したウェディングに感じた疑問

北陸に戻ると言っても、仕事のあては何もありませんでした。だからといって、ウェディング業界に戻るつもりもなかったんです。前職を辞めた理由としても、ウェディング業界に疑問を感じていた部分が大きかったので。
「結婚式がシステム化してしまっている」というか、アレンジの多少の差はあっても、基本的にはパッケージ化された披露宴が繰り返されている。新郎新婦さんは準備も大変だし、当日だってすごく忙しくてお客さんとゆっくり話す時間もない。けれどお金はすごくかかるというー…。私はそういう結婚式が良いとは思えなかったし、自分が良いと思えないものを、お客さんには勧められない。だったら、自分はもうそこには戻れないなと。
とはいえ、北陸では定期的に入るヘアメイクのお仕事というとブライダルくらいなので、最初は生活していくために、一部割り切って、外部のお手伝いはしていました。

フリーランスを選んだ、同志との出会い

そんな時にさやちゃん(木谷さやかさん)の存在を知ったんです。石川に戻ったばかりで、地元の情報を集めようと読み漁っていたフリーペーパーの一角で。素直に「可愛い!」って思えるドレスを、一人で作っている女の子がいる。そのことに衝撃を受けて、とても小さな記事だったんですけど連絡先が載っていたので「一度会いたいです」ってすぐにメールを打ちました。迷惑メールに振り分けられてたみたいで、メールが返ってきたのは半年後だったんですけどね(笑)。
会ってみたらすぐに意気投合して「一緒にやってみよう」と。たとえ少数派だったとしても、さやちゃんのドレスを着たいという方のウェディングのヘアメイクなら、やってみたい。そう思えたんです。それはまだ、オリジナルウェディングブームが来る前夜のことでした。

フリーランスを始めて、一緒に切磋琢磨できる仲間ができたことは本当に心強かったですね。彼女が頑張っている姿を見て私も頑張れるし、悩みながらも希望が見える。あと、変な言い方になるかもしれないけれど、お互いに「社会に馴染めなかった者同士」なので(笑)、ベースにある気持ちが一緒。だからフリーランスを選んでいるし、特に言葉にしなくても、お互いに分かり合える部分があるんです。
ウェディング以外のヘアメイクのお仕事も、昔のカメラマンさんとの繋がりなどから少しずつ増えていきました。元々「そっちをやっていきたい!」と思って戻ってきているところはあるので、この繋がりには本当に感謝しています。そして、石川でフリーランスでヘアメイクをやっている先輩がいらして、ありがたいことにそのお二人が自身で受けられなかったお仕事を私に回してくださったりもして。先輩方がすごく仲良くしてくださるので、同業者はいわばライバルでもある中「北陸は珍しいね!」って県外のへメイクさんには言われます(笑)。だから、地元に戻ってから自分で営業をかけたことは一度もないんです。

「お客様の一番近く」にいる職業だから

ヘアメイクのお仕事って、「メイクとヘアを作るだけ」ではないと私は思ってるんです。私達は、モデルさんやお客様の一番近くで、かつ一番長く時間を共にする職業でもあります。だからこそ、その日一日をいかに心地よく、スムーズに過ごしていただけるか。全体的な空気感や緊張感を察知して、先回りして“現場”をつくっていくということ。むしろ、そちらの方がプロのヘアメイクとして大事な仕事なのではないかと思うようになりました。

そのためには、「まずは自分のコンディションが良くないと、それができない」と気づいたんですね。ほとんど口出ししない父が、唯一「いい仕事するためには、寝てないとだめだぞ」って言っていたのを思い出して。自分のコンディションが良くないと、良い仕事はできない。これは自分の中に残っている言葉です。

相手を大切にするために、まず自分を整える

だからこそ、そもそもの仕事を詰め込みすぎないようにコントロールしています。会社員時代に私が嫌だったことの一つが、仕事が「流れ作業」になってしまうこと。それを今やってしまったらフリーランスになった意味がないじゃないかと。
私の場合、大体3日前くらいから、「次の仕事のモード」に切り替わるんです。気持ちがそちらの方に向いて、現場の状況を思い浮かべるようになる。もちろん事前に打ち合わせはしていますが、その時とは光の感じや季節感も微妙に変わっている。そういう“ズレ”をちょっとずつ埋めていく時間や、お客様のことを考えている時間が、私にとってはとても大事な時間なんです。
コンスタントに入る提携のお仕事を基本的にお受けしていないのもそのためで、「私にメイクをしてほしい」とおっしゃって来てくださる方を、一番大事にしていきたい思っています。

「一個の正解」にならなくていい

私は基本的に「すっぴんが一番可愛い」と思っているんです。それは肌が綺麗とかそういう話ではなくて、「その人の素」が一番美しいと思う。メイクアップを仕事にする者としては相反することを言っているのかもしれないですけれど、私はそれを訴えたくてこの仕事をしているし、この肩書きがあるからこそ説得力を持って伝えられるかもしれないと思っています。

あなたのままが一番素敵。そこにメイクで何を+αするかというと、その方の“内面”なんですよね。「内面が滲み出るメイク」というか、その方のお好きな嗜好やテイストを少しだけ“添える”んです。だから、「いっぱい塗って、別人になるメイク」というのは、特にウェディングの場合は違うかなと。「その人らしさ」が輝けるよう、全体としてしっくりくるバランスをいつも目指しています。
「メイクの迷子なんです」というお悩みもこの頃よくお聞きしますが、皆さん「自分に似合う、一個の正解」を求めていらっしゃるように感じます。でもそれに対して私は「似合うメイクは、24時間・365日変わっていきますよ」ってお答えしていて。
今はメイクに関する情報があらゆるところで氾濫しているので、その情報の多さに逆に惑わされてしまう。「一個の正解」を決めなくていいし、「一個の顔」にならなくてもいい。その「遊び方」というか「変化していっていいんだ」ということを、私は伝えていきたいし、それを愉しんでもらいたいと思っているんです。

ヘアメイクの延長線には、「自分に向き合う時間」がある

ご本人がコンプレックスに感じているところが、私は一番可愛いと思う。その個性を消してしまったら、その人じゃなくなってしまうし、みんな「同じ顔」になっていってしまう。私だってコンプレックスはあるけれど「この顔が自分だしな」って受け入れられるようになったら、逆にメイクが楽しくなりました。

だからこそ、ヘアメイクの延長線には「自分に向き合う」ということがあると私は思っています。今後はそのことを伝える動きをしていきたいと考えていて、3月にはヨガとコラボレーションしたイベントを実験的に開催する予定です。
今が一番楽しくて、あれもこれも、やりたいことが溢れて止まらない状態なんですが(笑)、まずは「自分と向き合う」ということにフォーカスして、伝えて行けたらと思っています。
(取材:2023年2月 編集:柳田和佳奈)

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