はたらこう課

NEWS

ニュース

2020.09/18 Report

移住者紹介 vol.1 こどものアトリエ 色庭

芸術の力で子どもの心を丁寧にケアする
アートセラピーの存在価値を広めたい。

こどものアトリエ 色庭
アートセラピスト 橘川 紗花

プロフィール
1982年生まれ、神奈川県出身。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業。2012年秋にドイツへ渡る。’14年、アラヌス芸術社会科学大学大学院アートセラピー科に入学。難民施設や精神病院、福祉施設のオープンアトリエで実習と研修を積む。’18年大学院修了後に帰国。'19年10月、金沢市コミュニティビジネス支援事業の採択を受けて石引に「こどものアトリエ色庭」をオープン。幼児から高校生までを対象に、通常の絵画造形教室と、子どもの悩みや課題の改善を目的にしたアートセラピーを取り入れたマンツーマンのコースを提供する。

Q. 金沢への移住と起業までのいきさつは?

A.
私は神奈川出身で、金沢には縁もゆかりもなかったんです。私のドイツ留学中に両親が富山に移住したため、帰国したら私の実家も富山に変わりました。隣県の富山には、母の実家があるので、小さい頃は夏休みには、おじいちゃん、おばあちゃんに会いに行っていたから馴染みがあります。

アートセラピーの道を選んだのにはいろいろな理由がありますが、ひとつにはアートセラピーの本に出合ったこと。ある病院内にアトリエが設けられていて、患者さんの作品制作が治療に有効的に用いられているという内容だったんですが、こんなに面白いアートのかたちがあるのだと初めて知り、一気に心を動かされました。

私はもともと美術が好きで、その頃、美大に入ることを目指して美術専門の予備校に通っていました。「アートセラピーを学んでみたい」と先生に相談したところ、日本には学べるところはまだないからと、海外で学ぶことを勧められました。でも結局、国内の大学に進んだため、次第にアートセラピーへの興味も薄れていきました。卒業後は一時期、CMや映画のセットデザインの仕事にも就きましたが、自分のやりたいこととは何か違うと感じて辞めました。30歳手前にしてもう一度新しい挑戦がしたいと思うようになって、いつしか忘れていたアートセラピーを本格的に学ぼうと一念発起してドイツに留学しました。アートセラピーの発祥の地はアメリカなのですが、ドイツを選んだのは、ベルリンのアートシーンに以前から興味があって住んでみたいと思っていたこともあります。また、ドイツでは心療内科、精神病院、終末医療などの医療機関をはじめ、福祉施設、刑務所で積極的にアートセラピーが取り入れられているほど、体制が整っているからです。

留学中にはアートセラピーを通した支援活動もしました。2015年当時はシリア紛争で行き場をなくした多くの家族をドイツが受け入れており、多くの避難所が開設されました。私が通っていた緊急避難所に収容された方々は移民として認可されず、ただそこに身を寄せているしかないという状況。そこにいる子どもたちに、紛争や貧困によるトラウマへのケアにフォーカスしたアートワークを行いました。そもそも、アートセラピーは、病院内の精神科医が治療方針を立て、適切なタイミングでアートセラピーやミュージックセラピー、ダンスセラピーといった中から判断して選んで行われます。避難所では明らかにトラウマの症状があるにもかかわらず、医師による診断を受けられる環境も整っていませんでした。それに、アートセラピーを行ったからといって、すぐに目に見えて改善するわけではないので、そこでは何かしら効果があると信じてやるだけ。それでも、言葉で通じない時に絵を通して気持ちを伝え合えるという面では、アートは言語以外のコミュニケーションツールとして有効だと手応えを感じました。

帰国後は富山の実家に戻り、どこかで小さなアトリエを開きたいと考えていましたが、さらに経験を積めたらと、アートセラピストとして採用してもらえないかと病院に直接手紙を送りました。しかし、日本では臨床心理士や公認心理士などの資格がないと院内では働けないという大きな壁があります。さすがに今から大学に入りなおして資格を取得するなんて、私には到底できないと挫折感いっぱいに。アートセラピストの道が開けないまま、1年ほどずっと悩んでいましたね。
そんな時、2018年秋に金沢21世紀美術館が企画した「変容する家」という、金沢のまちを舞台にした現代アートの展覧会を訪れて、特に石引エリアの雰囲気が面白くて心惹かれました。その後移住を決め、石引にある「ゑん」という女性専用シェアハウスに入居しました。ドイツ留学の時もシェアハウスに住んでいた経験があり、他の人と共有しながらの暮らしは慣れているので、ストレスや不安はまったく感じなかったですね。新しい土地で暮らすためにはあらゆる情報も必要だし、人間関係を築くためにもシェアハウスの方がいいんです。

起業しようと決めたのは、どうしてもアートセラピストとして働きたいという気持ちが強かったから。ギャラリーや若手工芸作家の作品を取り扱うお店などでアルバイトをしたり、フリースクールでワークショップを行ったりしながら準備を進めつつ、シェアハウスの管理人さんや石引商店街の方々など、いろんな人に相談しました。特にアルバイト先の若手工芸作家の作品を取り扱うお店の店長と奥様はアートセラピーに関心を示してくださり、金沢に来た当初からとても親身に相談に乗ってくださいました。結局人脈づくりはもちろん、物件探しのための不動産屋まで紹介してもらって、この民家でアトリエを開くことを決めました。石引エリアは、金沢美術工芸大学に程近く、病院が集中する地域でもあるので、アートセラピーのアトリエには最もふさわしい場所だと思いました。

アートセラピーが今後どれほどの需要があるかはまったく掴めないので、借金をしてまではやらないと決め、ひとまず賃貸の物件にして、資金は自己資金と助成金のみで収めました。起業の相談に訪ねた金沢市役所では、「金沢市コミュニティビジネス支援事業」の募集について教えていただき、応募して採用され、助成金を受けることができました。とりわけ担当の職員の方はとても親身になってくれて、今でも悩みや不安があると相談にのってもらうことがあり、心強い存在です。

地元の新聞でアートセラピーの絵画造形教室について取り上げられたことがきっかけとなり、その記事を見た何人かの親御さんから連絡をいただきました。多くは不登校のお子さんのためにアートセラピーのコースを希望されて通っていただいています。同時に、オープン時に、石引商店街のいくつかの店舗で親子向けのワークショップを開かせていただいたのが宣伝活動のような感じで、通常の絵画造形教室としてスタートさせました。

Q. 移住と起業で大変だったことは?

A.
移住も起業も周りの方のサポートもあって比較的スムーズでしたが、本当に大変なのはまさにこれからでしょうね。芸術療法そのものが、ほとんど知られていないという状況のもと、その意義をわかってもらえるようにわかりやすく伝えていく難しさを痛感しています。そのため集客がなかなかうまくいかず、事業が回っていかないんじゃないかと心が折れそうになることもあります。今はとにかく、アートセラピーとはどんなものか、多くの人に知ってもらうために動いていかないと。

Q. 子どものアトリエ色庭ではどんなことを?

A.
私の専門とするアートセラピーを取り入れたマンツーマンの教室は、絵や造形が上手になることを目的とするものではありません。その日によって子どもたちの状態は違います。心が不安定な時には、教室に来られない子もいれば、なかなか集中できない子もいます。そんな時には無理強いすることなく、その子にじっくり寄り添っておしゃべりをしたり、時には散歩に出かけたり、ゆったり過ごしています。

通常のアートクラスにおいても、あらかじめテーマを決めるのではなく、子どもたちのやりたいことを優先しています。私は子どもたちのファンタジーの世界にいっしょに入り込んで遊ぶことを一番大切にしていて、子どもたちの「ごっこ遊び」にもとことん付き合います。例えば、それが大人にとってちょっと心配になってしまうようなものだったとしても、あえて否定しないで自由に表現させてあげることが大事だと考えています。そういうところはトラウマケアのアートセラピーの手法が活かされていて、他の絵画造形教室にはない特色かもしれませんね。子どもたちの創造力は大人とは比べものにならないほど、新しい発想がどんどん湧いてきます。一つのものから思いもよらないストーリーが次々に生まれてくるので、こちらの方も刺激を受けることばかりです。

Q. 金沢で起業する魅力は?

A.
金沢では工芸も現代美術も暮らしに根付いているうえに、医療機関も充実していて、とてもバランスのとれたまち、という印象を受けています。実際に住んでみても、皆さん情の深い優しい人ばかり、外から入ってきた人への寛容さを身をもって感じています。そのおかげで、私のような移住者もこのまちにすぐに馴染むことができ、このアトリエをスタートさせることができました。石引商店街では、市内のミニシアター「シネモンド」の広告掲載のために、「石引軍団」という名のグループをつくり、メンバーが映画の紹介をするサイトを立ち上げていて、そこに私も参加させてもらっています。

それから、金沢にはドイツについて学び、ドイツ語圏の人と交流をはかることを目的にする日独協会もあり、定期的にドイツ語授業にも参加しています。このような国際色豊かな交流が盛んなことも魅力の一つだと思います。とはいえ、まだまだ金沢について知らないことばかり、石引界隈だけでなく、金沢のもっといろんなところを見て回りたいし、そのうちに金沢のまちや人の見え方も、もしかしたら変わってくるかもしれませんね。

Q. これから起業する人へのアドバイスを。

A.
まだスタートしたばかりだし、起業についてあまりにも知識がなさすぎてアドバイスができる立場ではありません。ただ私が言えるのは、きっと起業自体を目的にすると難しいのではないかなと思いますね。自分のやっていることに信念を持っているということが大切なのかな、と。

Q. 今後の展望は?

A.
今後は医療機関と連携していきたいですね。県内には音楽療法を取り入れている病院もありますが、アートセラピーはまだ導入されているところはないようです。

病院のほかにもフリースクールなどにもアートセラピーの導入についての提案に伺っていますが、残念ながらボランティア扱いされることが多くて…。専門分野で勉強してきた経験や対価を支払うべき療法だということはなかなか理解されないのが辛いところ。それに、言葉の響きからなのか、「癒し」や「ヒーリングアート」のようなものをイメージされがちなのも悩ましい。アートセラピーはそれとはまったく違います。アート制作を通して思考していくのは、自分自身とまっすぐ向き合って表現するということ、それが心の悩みの緩和や課題の解決に導いていくもので、そのプロセスの大切さを伝えるのが難しいですね。

そんな中でも、まだまだ知られていないアートセラピーの存在意義を少しでも周知させていきたいし、医療や教育の場にもアートセラピーの考え方が浸透していくことを切に望んでいます。アートセラピーが医療に実践されている欧米のようになるまでは、はるか遠い道のり。果たしてうまくいくのか自分でもまだわかりませんが、ともあれまだ走り始めたばかり、これからなんとか道筋をつけていきたいと思っています。

Category